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  • 新政府の財經策は 漸進主義で進む 日支共存共榮を樞軸 頭條新聞

    【上海三十日發同盟】新中央政府の財政經濟政策は新政府十大政網の一に明示されその基調とする所は東亞新秩序建設を眼目とする東亞經濟ブロツク體制の整備にあるが新政府が差當り執らんとする諸方策は左の如きものと見られる

    一、日支の經濟提携は互惠平等有無共通の原則に基き日本側の資本技術と支那側の資源との合作によりその利用開發を計らんとするものであつてこれがため双方の官民間に經濟提携協議機關の設置が考慮されてゐる

    一、東亞ブロツクの見地より從來の對外貿易政策を調整し且つ中國主體行政の獨立完整の見地より旣存不平等條約の修正を計り互惠平等主義に依る貿易政策を確立する

    一、日支共存共榮を樞軸とする新政府の經濟工作に友好的援助を提供する第三國に對してはその資本技術の導入を歡迎し門戶を解放する

    一、海關事務は卽時新政府の管轄下に置くがこれは接收の形式を採らず旣成政權より海關事務引繼ぎの形式による又海關の機構職員などに對しては急激なる變化を避け漸次改善を計る關稅率についても當分現狀を維持し改正の要あるものは慎重檢討の上近き將來改正を加へる

    一、可及的速かに新中央銀行を設立し新通貨により幣制の統一を期するため近く中央銀行設立準備委員會を設置す通貨の現狀に對しては戰後經濟の回復を第一義とし民業に急激甚大なる影響を與ふることを避け暫定的現狀を維持し漸進主義により通貨工作を修正する

    一、疲弊せる農村の復興を急務とし速かに稅制を整備し農民の負擔輕減、農村金融の確立、農村工業合作の調整などを計り農村の積極的復興策を講ずる

    日本は極東に於ける 共產主義の防塞 上海英字紙の論說 頭條新聞

    【上海一日發同盟】去る三月二十八日日英協會席上におけるクレーギー駐日英國大使の演說に關し當地英國系有力紙ノース・チヤイナデーリーニユース紙は一日歡迎すべき演說と題する長文の社說を掲げクレーギー大使の所說を支持してゐる右は現地における英米人の現實的認識を表明するものとして注目されてゐる要旨左の如し

    クレーギー大使の演說に對し某々國において行はれてゐる批評は全然純理論的觀察のみに立脚し事態の現狀に對し目を蔽つてゐる現實無視の批判は甚だ良くないことだ英國は歐洲戰爭勃發に先立ちこの現實的な考慮により極東における重大危局の惡化を防ぐことを得たのである現在英佛聯合國の第一義務はこの點にあり若し聯合國がその集中勢力を世界の隅々に分散するにおいては到底この義務は完遂し得ない日本の對支政策の妥當性及びその窮極の結果については如何なる意見も立てられやうが歐洲の情勢がソ聯邦により最大の危險に曝されてゐる際强大なる日本が極東の平和と安寧にとつて絕對不可缺の要素であると云ふ事實を否定することは出來ない日本は極東におけるコンミユニズムの傳播に對する現實の防塞である極東における不安定情態の繼續を望みより良き諒解に到達せんとする企てに反對するものはボルシエヴイズムの世界變化政策を支持するものと云ふべきである。

    社說 新中央政府の將來に期待 四億民眾の早き覺醒が緊要 社說

    新支那中央政府としての國民政府の改組還都の大式典は三月卅日全支四億民眾の歡呼と世界各國注視の下に南京舊國民政府大禮堂に於て華々しく舉行された、ここで二年四ヶ月振りに再び南京が國民政府の首都として立ち歸つたわけである。新中央政府の標榜する處は和平反共建國で去る四月一日に政務を開始し新中國の建設に向つて邁進することとなつた同政府の二大方針たる和平の實現と憲政の實施は中央政治會議に於て鄭重に審議されたものであり今後國民政府は右方針を堅持し誓つて之が實行を期せんとしてゐる、今後此二大方針の實現如何によつて新中央政府は對外的にはその鼎の輕重を問はれ對內的には四億の民眾を完全に支配しての福祉を增進せしめる重責負をぶ事が出來ることとなるわけである。

    國民政府の所謂和平の實現とは何を云ふか、結局昭和十二年七月事變勃發以來ここに結んで未だ解き得ない我が國との紛糾を一掃し一日も早く戰爭を止め相互協力の下に善隣友好、共同防共及び經濟提携の原則に基き將來の親善闘係を確立し、過去に於て蔣政權が執つて來た誤りたる政策及び法令にして右方針に反するものがあつたら必ずそれぞれ之れを廢止し又は修正し努めて主權の獨立自由と行政の完整とを保全し且つ經濟上に互惠平等の合作を實現し、以て兩國の共存共榮の基礎を樹立せんとするに在る、日支兩國は不幸にして今も干戈を交へて居るが今次の如く國交の調整を得た上は永く平和を維持し共に東亞を安定せしめ、同時に一切の友邦に對しても亦此の和平外交の方針に基き信義を講じ睦誼を修め以て一層その友好を增進せんとしてゐる。

    又所謂憲政の實施とは中國國民黨第五次及び第六次全國代表大會の宣言中に於て既に明確に規定されて周知のことであるが今や事變の為め各般の施設が悉く廢絕し、これが復興を待たれて居る秋、舉國一致、四億民眾の物心兩面の力を集中し、勇往邁進もつて現代國家としての建設を完成するにある。特に過去に於ける個人の獨裁制は全國人民の精神團結の障害となつて來たものであるから、必ず之れを革正除去するに努め、又共產黨は階級闘爭を挑發し特に國家民族の大敵であるから必らずこれを曠絕、革正、その餘毒を餘さない樣に努力し其の上各階級民意機關の設置、地方目治の實施及國民大會の召集、憲法の制定發布などの點も實效を一日も早く現はし全國民の要望に副ふべく努めんとするものである。

    上述新中央政府の遵奉すべき最大方針たる和平の實現と憲政の實施は他面より見れば、同政府の負擔すべき最大任務と云ふことが出來る。此の任務の遂行が何の程度迄にしとげられるかが將來同政府に對す內外の信望の定まる處となるのである、國民政府の成立に對して我が國は既に全幅の支援與へて居り、朝野とも歡呼の聲を以てその成立を祝福しを將來に期待してゐる、今や日滿支の連鎖が新中央政府の成立よつて一層強固のものとなることは疑ひを容れないが、之れによつて東亞新秩序の建設が一日も早く實現されてその完璧に達することを大いに期待して止まぬものである併し此の新中央政府に對する諸外國の承認よりも早急に必要なことは支那全土四億の民眾が重慶政府を棄てて此新政府を早く理解す樣に覺醒し、全幅の信賴をかけて之を支援且つ協力する誠意を示すことである。

    敵一ケ師を完全包圍 右往左往混亂に陷る 頭條新聞

    【廣東二日發同盟】二十一日午前思樂縣城に突入した三木、清水、宮本、鈴木、松本等の各部隊は更に十萬大山北麓方面に行動中の深堀、小森吉田等の部隊と協力上思市北側附近に殘存する敵約一個師を完全に包圍泥濘峻坂の惡路を突き包圍網を縮小中である敵はこの間に退路をも遮斷されて右往左往混亂狀態に陷りその全滅は目睫に迫つた

    社說 國民政府の對外方針 社說

    去月卅日南京に還都した新國民政府は本月匆々新外交部長の名をもつて正式に日本政府を始め英、米、佛、獨、伊、ソ等各國政府に宛て國民政府還都を通達と同時に從來重慶政權下にあつた在外大公使館、總領事館に對しても國民政府改組還都の事實を闡明し、爾後重慶政權に代つて支那の主權を代表する旨を通達し速かに新政府の傘下に復歸する樣訓電を發する事となつた。

    而して第三國及び第三國人に對しては平等互惠と相互尊重の原則に基き各友好國の正當なる權益を尊重する方針であるが、 國民政府の南京還都後は既に局部的な一地方政權に顛落した重慶政權に對し、各友好國がその和平攪亂政策に再び援助を與へざるよう要求すると共に、新政府は國內唯一の合法的中央政府であるから、今後重慶政權に於て、若し國內に對して法令を發布し、又外國に對して條約を締結するも何れもその無効なることは當然であるといふことは、國民政府還都宣言及び江氏主席代理談話中に言明した通りである。

    國府の第三國に對する方針が上述の如く明らかとなつたため、各國が最も深い關心をもつてゐるのは新政權がその統治下に於ける各國權益を如何に取扱 ひ、又これと國交調整を如何に結びつけるかであらう。重慶側との對外協定の無効が宣言された以上、各國が新政權治下に植えつけた自國權益を確保するためには現實に新中央政府を相手とする以外になく、各國の新政權に對する態度は一應の變化を來さざるを得ない立場に迫られたのである。それ故に、各國側に於ては從來の對支政策に幾何かの轉換を企てんと目下細心の 注意を捕ひつつ靜觀の態度を執つてゐるので、新中央政府樹立後直ちに各國の對新政府態度に重要な變化が起るとは豫想されず、英米佛各國とも從來の援蔣政策を續けつつる、當面の在支權益及び在支活動に關しては實際上新中央政府を必要に依り相手せんとするであらうし、又新中央政府も各國をして正式承認せしむべく凡ゆる努力をもつて誘導するであらうをみられてゐる。

    イタリーは我國の承認に續いて新政府を承認せんし、又スペイン政府も伊國に追隨する模樣であると傳へられてゐるにも拘らず、米國は新事態に對して依然眼を蔽ひ、飽くまで舊秩序に執着せんとしてゐる。卽ち米國政府は去月卅日依然重慶政權を承認し、新中央政府不承認の態度を發表したが、しかし 米國の滿洲事以來の態度に徵しても、又最近に於ける對日壓迫、援蔣政策の繼續強化から推しても、全く豫期しなかつたことではないので、之を意に介する必要は毫もないのである。

    米國が若し飽くまで新政府不承認の態度を固執したならば、新政權統治下にある權益を如何に確保するか、に就ての方策發見に苦慮することは推測するに難くなく、グ駐日米大使の歸國、ク駐日英大使の米國經由歸國は共に注目に値ひするものがあらう。ク英大使はその訪米中、米國首腦部と會見や豫想され、而して新國民政府及び日本に對する英米の協同方策も當然議題に上るべく、又その歸英後は東亞新事態に關し本國政府に報告、協議するものとみられてゐるが、英米兩國の今後の出樣が頗る注目されてゐるのである。

    クレーギー演說を 英政府、全的に確認 日英國交調整の決意 頭條新聞

    【ロンドン三日發同盟】過日東京におけるクレーギー大使の演說は最近の英國極東政策を大膽且つ端的に表明したもので三日午後議會でも俄然論議の重點となり先づ下院において勞働黨切つての外交通ノエルペーカー議員並にヘンダーソン議員等は執拗に政府に喰下つたがバトラー外務次官は

    一、英國政府の金般的な極東政策に變更がないこと

    一、九國條約の基本原則を尊重するやう努力すること

    等を極めて巧妙な措辭をもつて概括約に述べて在野黨の質問を封じ更に大使の演說については外相は全責任を負ふと確言公正なる條件で支那に關する日英兩國の關係改善に努力することに反對する理由があるかと突張ねて與黨席から非常な喝采を受けた一方ハリフアツクス外相も上院でクレーギー大使の演說につき答辯し特に日英兩國關係の改善を希望する英國政府の方針を闡明したクレーギー大使の努力に全的な滿足の意を表した卽ち確聞するに英國外務省では逸早クレーギー大使に照會電報を發し演說正文を打電させ慎重檢討を加へとゝもに政府は閣議においてクレーギー演說を全的に確認するに決定したものであると云はれてゐる從來英國政府は米國の與論に氣兼ねして極東政策についても併行性を强調して來たがニユーヨーク市場における磅貨操作及び米國からウラジオストツク經由ドイツへの軍需品輸送等に慊らず特に九月以來二百十四萬バレルの米石油が供給されてゐることにつき質問が下院に出てゐる位である、從つて英國政府としては依然出來るだけ米國の國論は尊重するが極東政策に就ては飽まで事實に卽して日英兩國間の國交を調整する決意と解される、何れにせよハリフアツクス外相等の今回の思切つた言明に依りクレーギー大使の演說は英國極東政策の指導原則として茲に確認されるに至つたと見られる。

    社說 本島助成政策の再檢討 社說

    昭和十五年度の臺灣特別豫算の中で特に注目を惹いて居るのは產業及び文化部門の助成に對して督府が特に補助費を增額しその發達を助成せんとする事である。卽ち十五年度に於いて補助費として一千七百六十六萬餘圓を計上し、前年度の一千百七十四萬五千圓よりも五百九十一萬圓を增額した戰時下に於いて南方國策の第一線に立つ上より見れば、國內資源の開發を為し生產擴充に邁進し一方文化の向上をも計るべきである、本島の如く農業臺灣より一步を進めて工業臺灣を育成せんとすれば督府の積極的助成政策の具現しな い限りその發達を期待する譯に行かないものである幸ひ本十五年度に於いて一躍一千七百萬圓の補助費計上し產業と文化部門に對して一大助成政策を實現させんとする事は適宜の對策である。

    試みに十五年度の補助費を各項目より分析して見るに地方自治團體の經費補助費に二百九十二萬圓を計上し前年度よりも五十萬圓に近い增額であるが財源の許す限り更にその發達を促進する為めに增額する必要がある、教育費の補助は百一萬圓を計上し、前年度よりも二十二萬圓の增加となつて居るも義務實施を控へて居るだけにその準備費としては尚一段の增額が期待されて居る、島民の保健を確立する為め衛生費の補助として四十五萬六千圓を計上したが本項目も增額の必要があらう、產業方面に對しては油田開發や航海費や航空費と私設鐵道補助を始めも道路、水道などの交通政策の確立、更に防空、航空事業の發達を助長する為めに補助費を計上したが、總體的に十五年度の補助費より見れば文化部門に對しては閑却されて居るに反し產業門に全力を傾注して居る跡が見られる。

    產業の發達を圖らんとすれば文化部門の整備に全力を傾注すべきである事より見れば本島に於ける助成政策も產業部門のみに主力を置かず、文化部門に對しても一大助成政策を具現すべきである殊に本島に於ける交通政策から見るに航空補助は未だに發達の途上にあるから今後とも繼續して助成政策を確立せねばならないのに對し、航海補助は最早受命會社に於いて補助を受けなくても充分に經營が出來るのにも拘らず、依然として巨額の補助費を下附して居る事である。宜しく今後の助長政策はその對象の實情を精查し非常時下に於ける事態を檢討した上で、その重要性に應じて助成すべきである徒らに從來の情實や感情に依つて補助費を計上する事は嚴に慎しむべき事であると共に文化部門に對しては積極的にその發達を助長すべきである。

    心聲 漢詩

    敬次梅樵先生七十述懷原玉/詹作舟、敬次梅樵先生七十述懷原玉 二/詹作舟、敬次梅樵先生七十述懷原玉 三/詹作舟、敬次梅樵先生七十述懷原玉 四/詹作舟、春日偕詩瓢叔寶樹君同遊天母温泉/李慶賢、春日偕詩瓢叔寶樹君同遊天母温泉 同韻/翁寶樹、春日偕詩瓢叔寶樹君同遊天母温泉 同韵/李學樵、春日偕詩瓢叔寶樹君同遊天母温泉 同韵二/李學樵

    物價對策審議會總會 米內會長以下各委員出席 きのふ首相官邸で開催 頭條新聞

    【東京五日發同盟】物價對策審議會第一回總會は五日午後三時から首相官邸で開催曾長米內首相以下各委員出席米內首相から物價政策遂行の重大性に鑑み各委員幹事の努力を要請する挨拶ありて左記諮問事項が發せられた終つて各委員幹事間に於いて審議會今後の運用方針につき打合せを行つた

    諮問一號

    現下內外の情勢に鑑み生產力を維持擴充し國民生活を確保する為め物價を安定するの要愈々緊切なるものあり、これが對策としては購買力抑制の强化と物資需給の根本的調整とに重點を置き物價は固よりこれが根源に遡り生產配給及び消費並びに資金等經濟の各分野に亘り强力なる方策を樹立しこれを急速に實施するの要ありと認む依つてこれが具體的方策を問ふ

    社說 米內首相の時局縱橫談 社說

    米內首相は親任奉告參拜のため西下したが、二日宿舎都ホテルに於て國內政策、支那新中央政府問題、第三國に對する方針、歐洲戰爭觀、國內政治體制問題等時局縱橫談を試み、戰時下內外諸政策の具現に對する政府の決意を率直に披瀝し、舉國一致の支援を要望したことは賴母しい限りである。事變處理完遂のため、米內々閣が議會に與へた言質は少くない。議會さへ無事に通過せばあとはどうかなると云ふが如き、不誠意を以つて議會の要望を受け流すわけではないが、議會後に於ける現內閣の重大なる任務は、何はさて置き議會に於て公約した內外諸政策を實行に移すことである又豫算の如き前內閣の編制したものをそのまま繼承したとは云へ、議會の協讚を經た以上、自己の責任に於て實行を期せねばならぬことは言ふまでもない。

    米內內閣の當面の大使命は、何と云つて事變處理を完遂することである。假令完遂と云はざるまでも事處完遂に向つて數段の進捗を期せねばならない。 之は現內閣に對する國民の要望であると同時に、また現內閣の價値の定まるところである。しかしながら今次の議會に見るとき、果して當面に課せられた事變處理の諸問題がどこに向つて發足せんとしてゐるか、戰時經濟再建の如き、國民總協力體制指導力の如き、又事變處理外交の如き等議會に於て政府の經綸抱負は聽き得なかつた。もとより現內閣は成立後間もなく議會に直面したため、議會對策に急であつたことは諒とせざるを得ないが、事變處理上急迫せる激變期に立ちながら、甚だ微溫的にして積極的指導性を缺き、且つ將來の對策につき何等示唆を與へてゐない。

    米內內閣の常套語とする「必要に應じて漸次強化する」と云ふ遣り方は平時ならいざ知らず戰時消耗と建設の兩面を恒久に追はんとする今日にあたつて、我が國防的要求は「必要に應じて」など悠長であつてはならない。曠古の事變を處理完遂するには異常の抱負と經綸と而してこれを貫徹すべき指導性と勇斷果決がなければならないのである。東亞新秩序分擔の一翼支那新中央政府は既に成立し、これが大成は念願して止まないが、その育成には何多大の努力と援助を必要としなければならぬ。米內內閣は成立して以來既に三ヶ月を經過し、又議會も既に終つた上は、速かに現內閣獨自の政策を國民に明示し實行に移すべきである。時局がいよいよ重大に進むとき、これが處理には異常の決意と積極的指導性を以てこそすれ、內外の諸情勢に引摺られてはならない。

    心聲 漢詩

    敬和灌園先生熱海瑤韻/林春懷、敬和灌園先生熱海瑤韻 其二/林春懷、敬和灌園先生熱海瑤韻 其三/林春懷、敬和灌園先生熱海瑤韻 其四/林春懷、敬和灌園先生熱海瑤韻 其五/林春懷、敬和灌園先生熱海瑤韻 其六/林春懷、子惠宗先生誕辰報恩會邀宴賦祝/林清敦、報恩會感賦次清敦宗先生瑤韻/林子惠、送伯達詞兄東渡/張錫祺、餞送伯達君上京卽席賦似/陳鏡如

    政府の訓令案決定 きのふ臨時閣議で 頭條新聞

    【東京六日發同盟】六日の臨時閣議は午前十時より首相官邸に於て開催、特に柳川興亞院總務長官も出席、五日の興亞院會議に於て決定した阿部大使携行の帝國政府訓令案を附議、これを正式に決定して同十一時四十五分散會

    社說 民信無くんば立たず 為政者の味ふべき政治道德 社說

    昔、孔子がその弟子に政治の要諦を說いて曰く、食を足し、兵を足し、民之を信すと、そしてこの三つの中、已むを得ずしてその何れかを先に去るとすれば、先づ兵、次に食を去つても最後の民之を信ずといふことだけは決して缺いてはならぬ、古より人皆死ぬけれど、民信無くんば立たないのだと道破されたこれは二千四百年前の舊時代の考へ方であるが、東亞新秩序を建設すべき今日の新時代に於ても、東亞を牛耳る指導者が東洋民族を協同結合せしむる上に大に之れん參酌すべき所が多いのみならず、凡そ國を治める現代の為政者も深くそれを玩味する所が無くてはならぬと思ふのである。

    先般貴族院議員建部遯吾博士が議政壇上に於て現代政治家を啓蒙すべく、その該博なる學識と深遠なる理想と滔々數千言、吐露されたが、その中、上が信を下に失ふ、信民に失ぶといふことは事極めて大である、孔子の民信無くんば立たずと云ふ、私は此れと同意見である、孔子の云ふ如く、言忠信にして行篤敬なれば蠻豺の邦と雖ども行はれむとの一節がある。また同博士がその實例として昨年阿部內閣が米は今後値上げしないから今の中に賣れと農家に勸めなから僅か數日後に突然五圓値上げしたが如きは實に念入りの信の失び方であると指摘された。この國民に信を失ふ勿れとの質問に對し米內首相が私內閣の首班として政治の運營に當るに付いては事を決するには慎重に十分なる檢討を加へると共に一旦決定したことは飽くまで之を行ふ、常に一貫せる方針を以て進みたい、かくして強く正しき政治を行つて參ることを念願としてゐると誰でも云へる型の知く答辯された。

    今や支那事變の處理は尚ほ長期に亘る覺悟を要するけれど、一面に於ては國の內外に對し、着々東亞新秩序建設の基礎を固めつつ正しく邁進すべき重大時機にあることは為政者もまた一般國民も深く認識せねばならない。從つて東亞新秩序の建設を中外に信ぜしむる為め正しく強く之れを行ふことが緊要であると共に、國內各般の政治革新と經濟統制を行ふ上に於て、一般國民の信を失はざらしむるやう、慎重にして且つ明朗なる態度を以て國民に臨むことが必要であると確信する。從來往々にして官僚の獨善的見解に依つて後日取り返しの付かぬ失政を強行されて、民眾の信を失ふが如き實例を見ることがあつたが、是れ官民とも舉國一致して東亞新秩序の建設に邁進すべき重大時局下に於て、甚だ憂ふべき變態であると云はざるを得ない。もちろん今日の如き非常時局に對處し、防諜の關係上民をして由らしむべく、知らしむべからずといふ秘密を要する事項も多々あるであらうと思はれるが、然し一部の官僚が動もすれば非常時の名を利用して、國民の理解と協力とを要する國內施政までが速斷專行せんとする獨善的態度の如きは務めて避けねばならぬところである。要するに國內に於て民に信を失ふ勿れとの政治道德は古も今も變るところはないが、之れ移して他民族に對し、又は諸外國に對してその十分なる信頼を得るやう、國際政治を掌る者の常に心得べき信條であらねばならない。

    心聲 漢詩

    施梅樵先生七十書懷索和賦呈/謝尊五、施梅樵先生七十書懷索和賦呈 二/謝尊五、施梅樵先生七十書懷索和賦呈 三/謝尊五、施梅樵先生七十書懷索和賦呈 四/謝尊五、餞送伯達詞兄上京席上賦似/曾石閣、送伯達詞兄上京賦似/張聯壁、喜雨/蕭献三、申江旅懷/黃福林

    皇太子殿下 けふ御めでたく 學習院(初等料)に御入學 頭條新聞

    【東京七日發同盟】皇太子殿下には萬人齊しく奉祝の裡に紀元二千六百年の陽春八日入學式に臨ませられ御めでたく學習院初等科に御入學あらせられる、この日

    天皇皇后兩陛下の御滿悅の程拜察中上るだに畏き極みである、この榮ある日をめ御待ち遊ばすと承はる皇太子殿下には昭和十二年秋から女子學習院幼稚園園見を御相手に幼稚園の課程を御體驗遊ばされて智育も優れさせられ體操、遊戲、クレオン畫、粘土細工、折紙等の手工、唱歌等も御上手で繪本の童話も御讀み遊ばすと天稟の御輝かしさに側近も恐懼お慶び申上げてゐる。

    每朝六時三十分か七時頃御起床御淨身も御自身で遊ばされると承はるが御日拜所にて伊勢神宮宮中三殿を御遙拜

    三階下の御寫真に御拜禮遊ばす尊き御日常は學童の龜鑑であらせられる、御降學の上は每朝御徒歩で赤坂離宮西門から御通學當分の間午前九時から二時間位一學生として御勉學、休み時間も一般學生を御友に運動場で御遊びになる由と承はる、また殿下御使用の御學用品は教科書ノート、鉛筆に至るまで學習院から一般學生に配付するもので寔に畏き極みである、かくて殿下には六年間御在學小學の課程を御修學あらせられる御豫定と拜承する、八日殿下には午前八時册分目白の學習院に行啓午前九時からの入學式に臨ませられ同九時五十分還啓あらせられ更らに午後一時三十分宮城に御參內

    天皇皇后兩陛下に御對面御降學の御挨拶を言上遊ばされ同三時三十分還啓あらせられる御豫定と承はる

    阿部大使に訓令手交 外相より詳細趣旨說明 頭條新聞

    【東京八日發同盟】特命全權大使阿部信行大將の携行すべき帝國政府の訓令案は六日上奏御裁可を經たので政府は八日午前十一時より首相官邸に臨時興亞院會議を開き右訓令に就き種々打合せを行つた結果こゝに國內手續は全部完了した、依つて米內首相は同日午後四時首相官邸に阿部大使の來訪を求め首相及び有田外相より訓令を手交しその趣旨を詳細說明すると共に今後の方針等に就き重要打合せを遂げた

    社說 米穀增產政策の再檢討 社說

    臺灣米穀增產政策は再檢討すべき重大時期に直面してゐる、周知の如く長期戰下に於ける食糧の確保は軍需品と異ならざる重要性を有し、從つて米穀の增產は農業政策の最前面に押し出されたのである。然つに島內の米穀增產は果して計畫通り行はれ得るや否や、而して所期の目的に達するには如何なる新手を打つべきか、此等の問題に關して宜しく從來の行懸を清算する必要に迫られたのである。米穀增產の三大要件は植付面積の擴大と肥料の充分な配給と農民の熱心なる栽培以外にあり得ない。卽ち面積の擴大と甲當收量の向上を圖るべきである。前者に關しては既に此の欄で言ひ盡したつもりであり、後者たる甲當收量の向上は先づ肥料の充分なる配給を要求されてゐるが、現在の如く施肥の時期に兎角間に合はざるが如き手當方法は先づ改革を要する。其の上肥料の價格は公定價格の儘で農民の手に渡さなければならない。最近の如く稍々もすれば闇取引でなければ肥料の購入が出來ない狀態では一日も早く之を肅清すべきである。それには產業組合や農事組合の手によつて直接農民に渡すが如き配給方法を確立すべきであらう。

    更に進んで農民をして米作に熱心ならしめるには其の努力に對する報酬をもつと考慮しなければならない。米の價格は單に其の生產費のみに立脚して決定すべきでなく、一般物價、殊に他の農作物の價格との均衡を保たしめなければならない。例へばバナナとか、落花生とか、胡麻とか、蔬菜類とか、さういつた統制外の物質が戰前に比すればいづれも倍以上の騰貴を來し、從つて米價の位置が相對的に安い事は否定すべくもない事實である。現在の狀態ではいくら代用食を獎勵しようとしたところで、なかなか困難な事であらう。 かくては一方に於て增產を期し得られざるであらうと共に、農民の米消費量の增加を來す恐れさへある。卽ち米價と一般物質との聯繫關係を出來る丈合理的に調整すべき事を特に強調せざるを得ない。

    尚米穀增產と島內配給の圓滑を期するには現在殖產局及米穀局の機構改革を急務とされてゐる。農林省では既に戰時食糧の中樞機關として食糧局を設置してゐるが、島內としては米作の獎勵と他の糧食との關係及島內消費等の問題を一元的に處理する所の糧政課を設置する必要があらう。唯これを殖產局に屬すべきか又は米穀局に屬すべきかは議論の餘地はあらうが、生產費の調查又は米價決定も當然此處で公正な立場で裁斷するが如き綜合的機構が考へられるのである。今や食糧問題が今後益々重大化するであらう事は明かであるから、督府に於て此の際新たなる構想より再出發すべき事を要望せざるを得ない。

    北歐に戰火擴大 諾威、對獨宣戰を布告 侵入する獨軍と開戰 頭條新聞

    【ワシントン九日發同盟】米國務省は九日早曉ノールウエーが對獨宣戰の布告を行つた旨發表した

    【ワシントン九日發同盟】米國務省は九日早曉ノルウエーが對獨宣戰を布告した旨を發表したが更に國務省當局はノルウエーの對獨開戰の動機に就き次の如く發表した

    ノルウエーは九日午前零時半ドイツ軍艦四隻がオスロフイヨルドに侵入せんとしたのに對してノルウエー軍がこれに砲火を浴せ遂にドイツとの戰爭に這入つたものである

    社說 英國對獨經濟封鎖陣を強化 その效果は疑問 社說

    英佛兩國はその全面的對獨經濟封鎖強化を決定して以來、スカンヂナビア、ベルカン、太平洋各方面に於て着々その強化策を強行しつつあり、歐洲戰は今や新段階に入り、獨逸側よりも寧ろ英佛側が愈々戰爭のイニシアチーブを取つて來たことが目立つて來た。卽ち英佛側はスカンヂナビア工作として諾威、瑞西兩國に警告を發して其注意を喚起し、又自國の大公使會議開催して對バルカン工作を協議檢討し、又その封鎖陣を太本洋殊に浦鹽近海にまで擴張せんが為めに我國と提携せんとする空氣が濃厚である。英佛側が戰勝を獲得せんがために、對獨經濟封鎖陣の強化に躍起となつてゐるのは已むを得ないであらうがしかし中立國の權益侵害する、嫌ひがなきにしもあらずたので中立國側との摩擦は當然惹起するものと見ねばならず、果して所期の効果を舉げることが出來かどうか疑問なしとせぬであらう。又その對獨經濟絞塞強行は必然的に獨をして速戰卽決の軍事行動に追ひ詰める結果に陥る危險がないだらうか。

    英國の戰意昂揚は過日の內閣改造に於て既にその一斑を擁すことが出來たのである。卽ち過般の改造に於て、陸、海、室三軍の統率は閣內の主戰派の中心たるチヤーチル海相の手に集中されたので、英國の對戰爭態度は一段と硬化を豫想されたものであつた。と云って、獨逸に到して軍事的攻勢に出るのではなく、經濟封鎖戰の方針に變化なく、更にそれを一段と強化し、萬難を排して強行せんとするものの如くである。しかしながら、英、獨の長期的經濟戰が一段と熾烈強化された場合、中立國側と當然惹起されるであらう摩擦を如何に廻避するか、又その結果として大規模の軍事行動が起る機會も增して來たことは否む事が出來ないのであるが、果してそれに對抗するだけの自信があるかどうかは興味ある問題であらねばならぬ。

    英國はその對獨經濟封鎖陣強化策を決定すると共に、中立國の援獨行為に對して警告を發しその結果或は中立國に對する壓力の強化を仄めかしてゐるが、しかしそれは中立國の到底忍び得べきものではないことは明らかである。英獨戰爭のために、中立國の通商が干涉され、又その權益が侵害されることになれば、中立國は結束して通商干涉を排擠し、中立防衛に蹶起するであらうことは推測するに難くない。若し夫れ、中立國との軋轢摩擦が假令武力に訴へるまで進展しなくても、それを敵陣營にひ込む結果に陷りはしないだらうか。かくなれば英國企圖の逆効果になりはしないだらうか。英國の重壓に對應して獨逸も又攻勢に出でんとし、スカンヂナビアの風雲は急を告げて來るであらう。バルカン列國に對しても又同樣の事態が起るであらうとすれば、茲に英佛兩國の軍事行動が起る危機が孕んで來るであらう事は明らかである。

    心聲 漢詩

    東遊雜詠 車發蘇澳/蘇澳 楊靜淵、舟發基津/蘇澳 楊靜淵、重陽日舟中小飲和松村詞兄原韻/蘇澳 楊靜淵、舟抵下關/蘇澳 楊靜淵、山陰道中/蘇澳 楊靜淵、詣巖島神社/蘇澳 楊靜淵、謝賀茂鶴主人招飲楓葉亭/蘇澳 楊靜淵

    英佛、東南歐方面に 重要據點を先取か 陸海軍を集結待機中 頭條新聞

    【ブダペスト九日發同盟】北歐の動亂化とともに東南歐情勢も俄かに切迫しつゝある模樣であるが東部國境におけるドイツ軍集結の報道につきブカレストよりの情報に據ればフランス近東軍總司令ヴエイガン將軍は九日急遽パリから空路ペイルートに飛び同地に英佛近東軍首腦を集め重要協議を開始したと傳へられ同方面の英佛軍は何時でも行動開始し得るやう待機中であると云はれる一方海軍の一艦隊は目下エーゲ海のダーダネルス海峡附近に集結し同海峡を通過して黑海に出でんと企圖してゐる模樣でかゝる緊張せる各方面の諸情報からバルカン諸國では英佛はドイツ軍がスカンヂナヴイア占領の終了を待たずバルカン方面に戰略的重要據點を先取せんとするのではないかと憂慮してゐる

    社說 印度問題と英國の苦悶 社說

    最近の世界情勢として特に注目を拂はれて居るのは印度に於ける抗英運動の昂揚である、歐洲第二次大戰の勃發に依つて平穏を持續して居つた印度が深き眠りより覺めて老英國の桎梏より脫れんとして一大轉換期に直面して居る事を外電が傳へて居る卽ち印度總督と國民會議派との對立が激化し双方とも妥協の餘地がない迄に險惡化して居る其為に同地の國民會議派の急進分子は不從運動の卽時實施を強調して居り、刻一刻として情勢は英國に不利なる波紋を畫いて居る。果して印度に於ける切迫した事態も何れ爆發せねば濟されないと共に國民會議派との間に妥協と緩和對策の如何に依つては或ひは意外の事態を惹起するかも知れない形勢である。その成行如何は歐洲動亂に新局面を展開する可能性が充分にあるだけに世界關心の的となつて居る印度に於ける切迫した情勢を招來したのは、去る二月上旬リンリスガウ總督とガンヂー翁會見の決裂に始ると言はれて居る。

    ガンヂー翁の聲明に依れば印度總督は英國政府の手に依つて印度の將來を決せんとして居るに對し、國民會議派は外部よりの干涉を希望せず、印度の將來は印度人が決定せねばならぬと主張して居る。英國が印度をして自身の憲法並にその地位を決定せしむべき時期が到來して居ることを認める迄は如何なる平和的解決も見込みはないものと見られて居る、之れに對し英國政府としては印度の獨立問題は歐洲戰爭の終結後に於いて之れを考慮すべきであると強調して居る。双方の意見より見ても英國政府と國民會議派との對立は特別の事情がない限り妥協の可能性がないものと見られて居るから英國の印度統治問題も不服從運動の展開に依つて一段と惡化して行くものと見るべきである外電の報ずる所に依ればガンヂー翁が歐洲動亂勃發の當初に於いて英國の苦境につけ込むが如き行動は印度國民として取り度くないと言明して居る。

    然るに第一次歐洲大戰に於ける英國政府が印度國民に幾多の人的、物的犧牲を強要したのに對印度國民は獨立の日を夢見ながら總ゆる犧牲を忍んで英國の為めに尊き人柱を歐洲の山河に築いて來たのにも拘らず媾和成立後の英國政府の態度は誓約は弊履の如く捨てられて顧られない上に更に強く強壓政策を印度民眾に加へたのである、如何に無抵抗主義をモツトーとして居る柔順な印度國民であるとは言へ英國の打續く偽瞞政策を何時迄も盲從する譯に行かない。第二次歐洲大戰を契機として印度民眾が立つて老英國に對し獨立問題を再燃させた事も當然の結果である。英國としては獨ソを敵に廻して惡戰苦闘して居る上に更に印度に於いて不服從運動を展開された日には崩壞に拍車を早めるであらう、實に老英國は背腹に強敵を受けて苦惱の絕頂に立つて居ると言はねばならない。果して老獪なる英國が如何なる手腕を持つて二億印度民眾の反英運動を阻止する事が出來るであらうか?歐洲動亂の北歐擴大を契機として印度政情の推移が全世界の注目の的である。

    心聲 漢詩

    和王鵬程先生原玉 一/陳寄生、和王鵬程先生原玉 二/陳寄生、和王鵬程先生原玉 三/陳寄生、和王鵬程先生原玉 四/陳寄生、和王鵬程先生原玉 五/陳寄生、和王鵬程先生原玉 六/陳寄生

    全歐動亂の序曲 “最早中立國なし” 佛首相決意を披瀝 頭條新聞

    【パリ十日發同盟】レイノー首相は十日の上院に於てドイツの北歐攻略に對するブランス政府の斷乎たる決意を披瀝し特に

    一、最早中立國は存在し得ない

    一、英佛はスカンヂナヴイヤ兩國の水域及び獨領土內に於て對獨實力戰を遂行するに決定した

    との二點を强調今後ナルヴイク經由のスエーデン鐵礦は一塊と雖もドイツの手に渡さない覚悟であると豪語したが首相今回の演說は全歐動貌への序曲を奏したものであるとの印象を與へてゐる

    社說 物價審議會の任務重大 社說

    國民生活の安定を目標とする物價問題を審議する物價對策審議會は、第一回第二回總會と矢繼早やに開かれ、各委員より審議方針順序等につき、凡ゆる角度から再檢討が加えられようとしてゐる。一方價格形成中央委員會もこれと呼應して、物資別七部會を中心にけふ初總會を開き、兩者の圓滑なる運用により綜合的物價政策の樹立に着手することとなつた。諮問案にある如く現下の時局に鑑み生產力擴充の遂行上、物價對策は極めて重要であり、物質の昂騰を抑制して強力なる政策を遂行すべきは頗る焦眉の急を要する問題であつだけに、審議會今後の審議狀態の推移並に結論については、國民の關心期待もまたそれに比例して大なりと云はねばならぬ。諮問案內容は具體的な項目を避け、戰時經濟遂行に關し執るべき一切の方策につき檢討を進める方針であるが、相當深刻な討議が行はれることは豫想に難くない。

    審議管と委員會とは、各々其職能の範圍を異にしてはゐるが究極するところは、適正公定價格を維持しうる根本方針の確立にあり、單に價格操作に止まるべきものでないことは勿論である。しかしながら物質不足のため、生產擴充が絕對必要である今日、物價對策上當面の最大眼目は藤原商相の所謂腰だめ適正價格の急速なる全面化にある事は云ふまでもない。現在も將來も低物價政策は堅持しなければならないが、諮問案に於ける物資增產計畫と、低物價堅持との矛盾を如何に克服するか、この解決に審議會は、その第一步に於て困難な重大問題に逢着せざるを得ない。又云ふところの適正價格も現在の公定價格の修正に止まり、しかも之の修正は勢ひ高價格への引上げとなり、結局適正價格の形成は低物價政策から後退するものとならざるを得ず、新內閣の物價政策の再出發も安定出來ないものにしまひはしないか。

    適正價格の形成は、云ふまでもなく不自然な公定價格を修正すると共に、生擴を刺戟せんがためであるが、果して價格修正で激增する戰時需要を充しうるかどうか。又現在高い暗相場が橫行して公定價格を高きに呼ばうとして居るところへ、適正價格として價格が引上げられば、高い適正價格は更に高き闇相場を呼ぶ懸念なしとせず、國民の生活困難はこれが為に一層增大するばかりである。適正價格さへ形成すれば闇相場は自然解消する如く思はれるが、生擴、需給等に萬全の對策が講ぜられない限り、闇相場は根絕出來ないであらう。國民生活の安定は首相時局談に見る如く急務中の急務である。この難局を乘切るには速かに實効的強行手段が講ぜらなければならぬ。然らざれば所詮適正物價の形成は物價引上げに終り、却つて意外の逆効果を招來して由々しき問題とならむとも限らない。

    心聲 漢詩

    題湘雲阿里山圖/小維摩、輓老秋/小維摩、輓小眉/小維摩、廣島市/楊靜淵、謝大阪銘酒聯合招飲/楊靜淵、寶塚觀小女歌劇/楊靜淵、大阪城/楊靜淵、京都覽勝/楊靜淵、奈良東大寺觀大佛/楊靜淵、和松邨詞兄參拜二見神宮原韻/楊靜淵、名古屋/楊靜淵、名古屋城/楊靜淵

    二十日より廣東の 一般貿易を許可す 英、葡領事等に通告 頭條新聞

    【廣東十二日同盟】事變以來閉鎖されてゐた珠江は本日南支陸海軍最高指揮官の聲明に依り廣東における一般貿易が制限的に許容されるに至り國際貿易俄然として復活の第一歩を踏出すこととなったなほ聲明に續き當局では來る十三、四日の兩日海關監督公署貿易調整委員會支那側廣東碼頭倉庫警戒監視取締機關の觀察を行ふこととなつた、十二日午前十一時南支陸海軍最高指揮官の珠江航行商船の積荷許可に關する聲明左の如し

    南支方面日本陸海軍は作戰に支障なき範圍において來る四月二十日以降廣東における一般貿易を許可す

    【廣東十二日發同盟】珠江資易の復活に關して軍當局は十二日別項の如き聲明を行ひ廣東香港廣東澳門間を往復してゐる外國船籍國である英葡兩國領事にその旨通告を行つた、同時に通告案に參考として米、佛、獨、伊四個國領事にも內報した大體二十日頃次の如き一定條件の下に貨物積載の實施を見る模樣である

    一、軍が作戰及び治安維持上禁止制限し又はすることあるべき貨物を積載せざること

    二、航行は書間に限る、廣東香港又は廣東間のみにて他所に停船せざること

    三、航行中でも軍で必要と認めれば停船命じ臨檢することあるべく又航行中は撮影を禁止する

    四、軍で乘客中治安に妨害ありと認めたものある時はこれを逮捕し若くはその上陸を禁止する

    條項この外從來輸出入又は運輪を禁じ又は制限されてゐた物品は今後も禁止又は制限されるがその品目その他につき近く海關監督から發表の筈である、なほ通航手續は事變前と大體同樣である、稅則に關しては輸出稅轉港稅は從前通り輸入稅は新稅率を採用し一旦輸移入された物品の再輸出は制限される

    社說 未成年者の禁酒禁煙 青少年身心の剛健を圖れ! 社說

    未成年者喫煙禁止法及び未成年者飲酒禁止法の徹底的勵行に依り、島民の遵法精神涵養を圖ると共に、未來の日本を背負ふべき青少年身心の純潔、剛健を期し、以て人的資源確保に資する主要たる目的を以て、臺灣社會事業協會では文教局、警務局後援の下に、去る十一日より來る十七日迄一週間、全島一齊に第三回の未成年者禁酒禁煙遵法週間を實施した今日の如きが、非常時局に際し國民生活の緊肅が切實に望されてゐる重大時機に當り、全島官民協力の下に未成年者の禁酒禁煙を嚴重勵行せしむ者遵法週間の實施は洵に時宜を得たる重要行事と謂はざるを得ないのである。

    言ふまでもなく、飲酒は青少年の神經及消化系統を害し、その腦力體力を損傷すること頗る多いこと醫學上の實證する所であるのみならず、酒醉に因つて惹起された種々の犯罪及び飲酒の浪費も決して少くないのである。また喫煙は神經を麻痺せしめ人體諸器管の作用を鈍らし人體完成期に達せざる柔軟なる組織を害するものたることはこれまた衛生學上の定論であるのみならず、且つ時偶喫煙の不注意に依つて惹起された火災の慘害も少ないと云へないのである。斯くの如き見地より觀れば未成年者の禁酒禁煙の徹底的勵行は國民の心身保健上、社會風教上、國民經濟上、また犯罪及び火災の豫防上、絕對必要なる事であつて、決して未成年者禁酒禁煙法の根本精神を輕視し、苟且にも之を犯してはならない殊に今や未曾有の支那事變に際會し、國を舉げて東亞新秩序の長期建設に傾注すべきときに當り國家に重要なる人的資源の確保は全く青少年身心の剛健と國民社會的生活の安全とに待つ外なく從つて次代の中堅國民たるべき未成年者をして健全なる身心の發達を保持すべく、絕對に飲酒喫煙せしめざることは重大國策の然らしむるところと謂はざるを得ない。

    上述の如く、未成年者の禁酒禁煙法の勵行を徹底しない時には啻に個人身心の損傷や受けるだけでなく、國家の人的物的資源にも非常なる損害を及ぼすものであることは蔽ふべからざる周知の事實である。ちちろん飲酒喫煙の弊害は獨り未成年者のみに限るのではなく、成年以上の者にとつても同じくその弊害を受けるのであるから、今春の帝國議會に於ても眾議院議員森田重次郎氏よりは酒類釀造制限並輸入禁止に關する請願を、また同院議員吉植庄亮氏よりは二十五歲未滿喫煙禁止法に關する請願提出されたほど、國民一般の重大關心を要する問題である。わが本島に於ては昭和十三年四月一日より未成年者禁酒禁法を實施されたが、その法令勵行の末だ徹底せざるところあり、ここに獨り未成年者本人の自覺を促すのみでなく、その親權者又之に代る者の監督を切に望まざるを得ない。また本法の違反者を絕無せしむるには酒煙の販賣業者及び飲食料理店などにも相當な注意を與へ、嚴重な取締を要することは言ふを俟たないところである。要するに青少年身心の純潔剛健を圖る為め、本法の勵行遵守徹底せしむべきことを官民とも努力せねばならない。

    夢の島‧寶の島 海南島踏查記(一)/柴田勝春 海外遊記

    「瓊人治瓊」の實現を期し現在全島に亘る肅清殲滅戰の展開してゐる海南島の認識を深めんがためには、何はさて措いても民情風俗について知らねばならないその昔、風土極めて惡く、虫蛇の棲む所として全く無視放擲されてゐた海南島に、支那為政者が初めて版籍を置き軍を移駐したのは唐代のことで、爾來五百年間は罪囚流配の地とされ、之等の子孫及び支那本土の內亂を避けて渡來したもの達の子孫によつて漸次前述の如き虫蛇の地に非ざることが認められてはきたものゝなほその全貌はいはゆる瘴煙蠻雨式の先入觀に妨げられて世に喧傳される機會が少なかつた。記者はたま〱現在軍當局の好意によつて島內各地の民情を見て廻る便宜を得たが、以下、現在許されてゐる範圍內でその模樣を述べてみよう。

    脚光浴びる海南島

    東徑百八度三十七分――十一度三分北緯十八度九分――二十度十分。南支那海の西北隅に在る西洋梨型の海南島は面積臺灣より稍々大なり――、北東季節風の低い密雲を潜つて東京から僅か二日。臺灣から六時間の速さでいま、飛行機は海南島唯一の政治經濟都市である海口市へ着陸しやうとしてゐる。南支那海の三角波が惡魔の白い牙のやう物凄い形相もあらはに黑い暗礁に噛みついてゐる。

    赤土の臺地がその濱からうね〱と低い丘陵を形成して、灰色の煙霧の彼方に消え去る。空からそんな風に眺められた海南島、南十字星輝く椰子の島。南洋の入口―を私はまだはつきり印象づけることが出來ない。僅か二日の空の旅、精巧を極めた科學の力で東京から數百里を夢心地でとんだ意識は、その翌朝からりと晴れわたつた海口市の南國らしい白堊の美しい建物が龍舌蘭や、榕樹や、熟れたパパイヤを乳房のやうに枝につけた樹々の間で陽光に明るく輝いてゐるのをみた時やつと「海南島」へ來たと思ひ込むことが出來たのだつた。

    昭和十四年二月、島へ初めて日章旗がうちたてられてから、この島は急速に日本人に親しみ易く知られて來た。そればかりではない紀元二千六百年の日本と歐洲、近東を結びつける航空路開設の劃期的壯擧としてはじめられた日泰航空路のコースは、この島の上を西北から南東へつきぬけて行く。かうして海南島は、極く短かい期間に世界の注目を浴びるやうになつた。しかも現在全島は海軍精銳大部隊の手で、どうやら網の目を逃れて生き伸びてゐた殘敵の徹底的掃蕩戰が開始され、凡らく何處を步いても安全な海南島、明朗な椰子の島の實現も遠いことではなくなつた。二年前、だがこの島ほど日本人にとつて緣の淺いものはなかつたのだ。勝間田善作翁一家だけが唯一の日本人として、熱帶の密林のなかにでも住んでゐるやうに傳へられたくらゐで蕃族のゐる地の果の未踏の土地―そんな程度にしか日本人の腦裡に浮ばなかつた。まして二年後の今日、動亂の世界へ豐富な資源が無盡藏に眠つゐてる島として登場する海南島を誰が想像できたであらう!

    眠つてゐた寳島

    皇軍の占領まで、廣東省政府の統治の中心であり、島唯一の政治、經濟都市であつた海口市は十五分もあれば端から端まで步けるほど小さかつた。白堊の綺麗な建物がならび、舖裝された道路が走り、電燈が燈り、兎に角都會ではあつたけれど、およそ創立當時の遺物と思はれるやうガタガタの人力車が鐵輪を軌ませ、靴をはくよりか洗足の方が多いといふ點と、一丈五尺もある錦蛇や大トカゲ、熊などの皮と一緖に米を賣る米屋、フカの鰭燕の巢などの海產物を商ふ店、名知れぬ漢藥を賣る藥種屋、幼稚な錫細工、椰子細工屋などだけがたちならぶ點で、どんなに程度の低い土地柄であるかが判るだらう。

    勿論その反面には、かつて支那が傳統的な殖民政策として滿洲にも朝鮮、臺灣にも用ひて來たあらゆる文化の剝奪、土民の滅亡といふ恐しい壓政の暗い蔭がはつきり窺はれるのだ、米國の病院と英國長老教會と佛蘭西ルーテル傳道院、三つの外國權益が海口市のなかに在る以外は全島にここが外國權益だと稱するものは無い。その意味で、他の支那大陸のやうに外國の手で分割されてゐないだけ、海南島は幸福だともいへるが、それは一つには「島硏究文献」の故なのである

    海南島文獻はたつた二種しかない。その一つは廣東中山大學編纂。他の一つはわが臺灣總督府調查資料だ。殊に前者の支那側の資料は惡疫瘴癘の地で流刑地なりとか、島の中央の五指山々系は身丈五尺の蕃族が住み、川は砂金で一杯だとか、まるでとりとめも無いことが記してある惡疫と猛獸と蕃族と交通不便の未踏の地域として傳へられてゐたことが、とりとめない事にせよ、島を處女地として日章旗の飜る迄永い夢をむさぼらしめてゐたと云つても過言ではあるまい。われわれは南進日本の具現、海口市郊外の秀英棧橋から五百トンばかりの海南丸に乘つていよいよ海南島全島めぐりに出發した。はじめは東京灣側の西海岸に沿つて、うねりの激しい海にでた。行く先は新英港と三亞港だ。船長は、甲板を洗ふ波しぶきが窓をうつキヤビンで潮焦けした顏を撫でながら壁に貼つた海圖を指し示して「三亞といふ處は椰子の葉をわたる風も涼しい何時も美しく晴れた樂天地ですよ。御覽なさい。北は千島の北端から、南は海南島まで太平洋を北南に貫く島嶼が、ガツチリ臺石みたいに黑潮も赤潮も喰ひとめてゐますね。大陽曆の同じ月に、この十一月に、諸君零下四十度の極寒と二十四度常溫とが同時に存在すると考べたゞけで愉快ですね、大八洲の姿?これが日本の本來の姿ではないでせうか。私はそうだと思ふ」と意味深い微笑をうかべて我々に語つた。(つゞく)

    心聲 漢詩

    自北京到廣東將就道東京寄臺與友芬君痛飲旗亭有感/李枕流、庚辰王春吉旦達磨畵試筆自題/新竹 陳湖古 鏡如、達磨破布畵自題/新竹 陳湖古 鏡如、自題小照/新竹 陳湖古 鏡如

    石炭本年度は增產見込み 物動に織込む需給案 頭條新聞

    【東京十三日發同盟】(本年度四月以降來年三月末)までの內地石炭需給豫想に關しては過般昭和石炭聯合會が十五年度石炭綜合需給計畫案を作製し商工省及び企書院に提出したが右の需給豫想によれば本年度の石炭需用總量は昨年度の探炭高に比し一千百萬噸の激增を見込まれてゐるこれに對して本年度の供給豫想は政府の增產獎勵金及び坑道掘進補助金の交附に依る本年度の增產見込量を六百萬噸と見積つて居りこれが豫想通り實現すれば結局五百萬噸の供給不足となる、この五百萬頓の供給不足の補填策としては民間側では南樺太臺灣及び朝鮮の外滿洲國北支及び中支の石炭移輸入增加に努力すれば前年度に比して約三百萬噸の增產は充分期待し得るので結局殘りの二百餘萬噸が最後の不足量となる譯であるこれに對しては有効燃燒の獎勵等に依つて極力消費の節約を圖れば十五年度の石炭需給は略均衡を維持し得るものと見てゐる唯政府の六百萬噸增產計畫が豫想通り順調に實現するかについては多少の疑問があるが問題は資材及び勞力が潤澤に供給されるか否かにかゝつて居りこの點に關し政府の善處を要望してゐるが假令增產計畫の實現に多少の齟齬を生じてもかなりの增產は見込み得るので昨年度の下期に實施された消費規正率は本年度は相當緩和されるものと見られる尚右の綜合需給豫想は目下商工省企畫院で檢討中であり近く編成される物動計畫に織込まれて正式に決定される筈である

    社說 臺灣工業化の重點 社說

    臺灣の工業化は既に十數年前より島內各方面に於て頻りに唱道せられて來たが、現實の成績は必ずしも良好だとは言へない。殊に日支事變を契機として愈々工業臺灣建設の急要に直面してゐるのみならず、今後南支南洋の經濟的進出を為すためにも其の先決條件である事は言を俟たない。ところが目下島內に於て如何なる工業を建設すべきか、換言すれば如何なる工業に重點を置くべきか、此の際之を明確にした上に官民ともかかる一定した目標に邁進努力すべきである。

    周知の如く臺灣は何んと言つても未だ農業國である。此の農業國に必要なる肥料の自給は當然真先に考へられてゐる問題である。卽ち一個年硫安二千餘萬瓲の大量を要し、其の他過燐酸石炭、化成肥料等夥しき數量の肥料を消費してゐるが、窒素肥料の王座を占めてゐる硫安は全部移入を仰がねばならぬとは、誠に心細い話である。現に米、甘蔗其の他有用農產物の生產擴充を要望せられてゐる今日、肥料の供給不圓滑は何よりも苦痛な問題である。尤も日鑛系の台灣化學工業會社が新竹で硫安製造を目論んだが、獨逸より機械輸入難の為今尚立往生の儘であるが、此際內地製機械を切替えさせるべく當局に於て積極的に乘出さなければならない。

    殊に現下の如く島內需要の工業品は專ら內地依存を為してゐるため、最近となつて供給不圓滑のため常に頭を惱まされてゐるから、硫安に次いで必要な工業の建設は當然島內需要の大宗商品でなければならない。卽ちセメントとか、紡績とか、製鐵とか、製紙とか、かういつた工業に重點を置いて企劃院の物動計畫の中に入れさせるべく努力しなければならない。從來の工業振興策は主として內地資本家の投資を誘導するだけで、未だ臺灣として滿洲國の如く一定した計畫を樹立するに至つてゐない。之が臺灣工業化の遲れてゐる一つの大なる原因ではなからうか。

    蓋し日支事變が既に三箇年を經過し國內各種經濟政策が統制強化するに從ひ、工業建設に必要な資材を獲得する事が愈々困難となつたので、臺灣に於ける工業建設が當然日滿支經濟ブロツク建設の一翼に加入するにあらざれば、最早督府丈の力では何うにもならなくなった。そこで島內の工業建設は一面に於て島內必需品の自給を目標とすると共に、他面に於て日滿支經濟ブロツクの立脚地より促進すべき工業を選擇して其の重點としなければならない。換言すれば臺灣工業化の計畫化であり、其の先決問題として企劃院より建設資材の獲得に値ひする丈の計畫案を構想しなければならぬ。

    最後に一言すべきは島內必需品たる硫安、紡績、セメント、紙類等はいづれも南支南洋の需要する質易品であるから、臺灣工業の建設は島內の自給化より出發して將來南支南洋への輸出品に轉化しなければならないから、臺灣工業化は取りも直さず南支南洋發展の踏石であり、又其の第一步であると知らなければならない。依つて督府としては先づ工業化の重點を確立し、進んで其の具體的計畫案と其實行方法を講究すべき事を特に提唱せざるを得ない。

    お伽のやうな風物 海南島踏查記/柴田勝春 海外遊記

    導かれざる民

    新英港の入口の砂洲に白馬井といふ部落がある。オカシナ狀態で私は黎族にはじめて面接したのである。「海南丸」から上陸した我々は陸戰隊の勇士に案內されて仙人掌の生垣をめぐらした部落の內部を見物して步いた。大地といつてもこの邊りは真白な砂地だつたその砂地で一人の腰卷をつけた女が佇んでゐた。私にはそれがなにをしてゐるか判らなかつたが、勇士は突然ワアーツと呶鳴つた。私は本能的に固くなつた。

    「どうしたのです」

    「いや、どうもかうもないのです。大したことではありませんが、足許に注意して下さい。あの黎族の女は、尾籠な話ですが犬や猫と同じやうに道路で大便してゐるのです。踏みつけないやうに!」警備隊が來てから彼等に出來るだけそうさせまいと努力してゐるのですが、どうも習慣とは恐ろしいものですね。みんなそれで平氣で「無禮とも思はないし、その上尻のあとの始末をしなくても濟むやうに筋肉までが………………徹底すれば汚さも汚さでなくなるものですワイ、あつはつはつ」

    呶鳴られた黎族の女はなるほど平氣で、用を濟ませ、こちらを向き、刺青した口唇から檳榔樹の葉を唾んだ赤い噛をパツと吐いて悠々とたち去つて行つた。注意して見ると成程部落には一軒も便所のある家は無かつた。文化からまつたく置去りを喰つたのはこの部落の黎族ばかりでない。

    海南島二百六十萬の人口のなかで、土着民として存在してゐる苗族もさうだ。

    黎族は約三十萬人、あとは大陸から渡つて發展した漢族だが、漢族の三分の一も何時の間にか黎族と混合して中間族を形成してゐるそうした者達―黎族、苗族、中間部族は地圖の上で多少とも名前の知られた都會に住む漢族のために、政治的、經濟的文化的にあらゆる壓迫を蒙り、次第に未開の地域へ追ひこまれてゆく。殊に南下するに從つて亞熱帶特有の椰子の自然林中に住む彼等島民の生活は、昔ながらの原始生活であり、こゝには滅亡への宿命的な行路をたどる姿しかないのである。男も女も褌をしめて、山地の木の上に住む、といふより「棲」む苗族、ボルネオ邊りの土民そつくりな色もさほど黑くない容貌女は日本人の腰卷と寸分變らぬ腰布を締めて檳榔樹の葉に石灰をつけて噛ることが狂人のやうに好きな黎族達は、迷信と無意識な生存とのその日その日を過してゐるのである。

    明朗な海岸風景

    新英港から三亞まで約十時間の航海中、我々は五つの指をひろげたやうな高い山嶺を眺めつゞけた。五指山々系(海拔六千尺)は海南島の背梁をなす山脈である。この山系は西洋梨型の島の西北部に迫つてゐる。東側の大平洋面はこの山系が造る廣い臺地が崩れるやうに展がつてゐるそのうへ、北東信風の季節に灰色の雲をこの山が遮つてくれるので、島の東側の廣漠たる臺地は、常に一年中あり餘る程の陽日と、溫かい氣溫に惠まれる。事實、新英港から三亞港に近づくに從つて、目に映るものは、海岸に果もなく續く鬱蒼とした椰子の原始林であり、枯れることを知らぬ青い山々であつた。十一月末といふのに、我々は三亞に入港すると薄い夏シヤツ一枚となつた。島の最南端三亞海岸は素晴しいドライヴウエイだ世界の樂天地として有名なハワイの海岸も或は屹度これと同じなのだらう。坦々と續く淺黑い濱の砂地は、重いトラツクが走つても決してメリ込むやうなことはない。しかも砂濱の盡きる處は、一面、椰子の林だし、そのなかにはバナナの木もパパイアの樹も在る。我々は上陸地點の濱から、この海岸沿ひに、陸戰隊の勇士に護衞されながら、トラツクに乘つて西方に當る日本にとつては最南端の溫泉「崖縣城」へと四十粁をつゝ走つた

    お伽話の溫泉

    「崖縣」溫泉は陸戰隊の手で見事な日本家屋が作られ、湯槽も石で築かれ、どう見ても一流の溫泉としか思はれないほど立派に拓かれてゐた。土人達は熱い水が大地から滾々と湧き出るのは、きつと惡魔の仕業だとでも思つてゐたのであらう。

    陸戰隊の手で發見されるまで、溫泉は形ばかりの祠で祭られ附近の島民達は年一度この祠の前に集つてなけなしの銅幣を湯のなかへ叩き込んで災難のないやうにと祈つてゐたものであつた湯は素晴しく良質のアルカリを含んでゐた。七十度の溫度で、たゞこん〱と盡きず湧く。陸戰隊の勇士達は警備や掃蕩戰の汗と塵を流すばかりではなく、柄杓で湧き口の湯をガブ〱お茶がわりに飮む、これがまた胃腸にとてもよく効くのである。溫泉バンガローの青疊に寢轉がつてゐる我々は、庇まで怪奇な枝を伸ばす榕樹の大木の幹に澤山の「ポケツト猿」が面白げに遊びたわむれながら、我々を不思議さうに眺めてゐるのを發見した。樹には「ポケツト猿」の外に真白な鴉や、青や赤に彩られた大きなインコまでが人の姿をものとも思はずに飛び交してゐた。

    「裏の山に澤山あるパパイヤだよ。甘くて美味いぜ」

    逞ましい陸戰隊員は、我々に腹一杯、美味いパパイヤを御馳走してくれた。溫泉に浸つて野生の猿や鳥を鼻の先に眺めて、青疊に寢そべつて……我々はなにかボーツとしてしまつた翌日「崖縣」と反對の東側沿ひに三亞から陵水縣城まで八十粁の踏查が行はれた。我々を乘せたトラツクは、榕樹や龍舌蘭の密林地帶を潜り、或は椰子林を拔け、丘陵を越えて峠を下り、河を渡り、一望百粁餘の草原を走つたその間我々は、莫々たる野に比較して餘りにも尠い人口と、耕地をみた。米はありきたりの方法で一年三回の收獲があるのに米作田はなんと少なかつたか。高原は一面芝草が生え、天然の立派なローンを形成してゐる、時をり野放しの黃牛の群が草を嚙んでゐるばかりだ。高原へ深い南支那海の入江が澱んだやうな碧水を湛えてゐる。土と入江の境が白くキラキラと輝く

    「あれは天然の鹽だ」と說明されるまで我々は氣がつかない。さうかと思ふと草原を貫く道路が、灰を撒いたやうな土質に變り、走るトラツクの車輪で蒙々と白煙をあげる「これは硝子の原料になる硅藻土だ」―と云はれて我々はたゞ啞然とするばかりなのだ。

    陵水への途中、新村港といふ「港」とは名ばかりの部落へ寄つた。小休止の間、濱を散步する我々へ、警備の陸戰隊員が

    「そこに澤山、デツかい鮑があるよ」

    と教へてくれた。波うち際から三米先の海底南の海特有のすきとほつた二米位の底の岩に直徑五寸から一尺位のとてつもない大きな鮑がのうのうと前世紀の平和な夢をむさぼつてゐるではないか。

    「島民は海へはいらないんだ。海蛇がこわいさうだが、おかげで鮑奴も平和に暮してらー」と陸戰隊員はクツクツ笑つてゐた

    日支間基本條約の 締結交涉を開始せん 阿部大使着任と同時に 頭條新聞

    【上海十四日發同盟】帝國特命全權大使阿部信行大將は愈々十五日東京を出發二十一日上海着二十六日の慶祝式典までに南京に乘込むこととなったが新大使の着任に依り近衛三原則を基調とする日支關係は茲に不動の礎石を置かれるに至り今後はこの礎石の上に和平法案を具體化し以て日支永遠の和平を確立すべく新大使と國民政府間に新條約並に各種取極めの締結等逐次外交折衝が進められるものと見られる、卽ち帝國政府としては可及的速かに正式承認をなす方針に廟議一決してゐるので新大使着任と同時に直接正式承認を意味する日支間基本條約の締結交渉を開始するものと豫想される一方國民政府に於てさへも帝國の右態勢に呼應し去る十一日中央政治委員會第三次會議に於て外交部長褚民誼、立法院長陳公博等七氏指定して外交の大網案の審議を命じ和平法案の條約化に關する具體的檢討を開始するに至つて居り斯て阿部全權大使の着任は日支新關係確立に寄與するのとして歡迎されるとともに多大の期待が掛けられてゐる

    太平洋への戰火波及 帝國政府は重大關心 昨日臨時緊急閣議を開催 頭條新聞

    【東京十五日發同盟】ドイツのデンマーク、ノルウエーへの電□進駐の結果は遂に北歐に波及しドイツと國境を接するオランダの運命も危殆に瀕するに至り萬一オランダが戰火に捲込まれた場合は蘭印を中心とする太平洋上の情勢緊迫は必至と見られてゐるがこれに對し帝國政府は重大關心を有してゐるが米內首相は十五日午後一時首相官邸に有田外相の來訪を求め北歐の情勢並にドイツ今後の對オランダ方策を中心に當面の情勢を聽取し更らに西歐亞局長をも招致して重要會談を遂げた結果午後一時半より臨時緊急閣議を開催し米內首相並に有田外相より當面の歐洲情勢について詳細なる報告を行った後戰火がオランダに波及した場合帝國としては歐洲戰爭に對しては依然不介入の方針を堅持することに變化はないが太平洋に蘭印を控へてゐる關係上その動向に就ては重大關心を有せざるを得ない旨を述べて各閣僚間において檢討を進めた結果帝國政府は歐洲戰爭に對する不介入方針は依然これを堅持するものであるが戰火が太平洋に波及することは極力避くべきであるといふに意見一致を見た依つて政府は同日中に「不介入並に太平洋の平和防衛」に關する聲明を發表すると共に在外使臣に對しこの旨訓令を發して各國に帝國の方針を明かにすることとなつた。

    社說 歐洲戰爭と群小中立國 最早存在し得ず 社說

    獨逸の北歐進駐電撃作戰と共に、バルカン諸國間では、北歐作戰一段落した獨逸が、その石油、食糧の死活的補給路確保の為、東南歐に行動を開始するのではないかとの疑懼が急激に昂まりつつあり殊に近東に於ける英佛と獨兩軍の勢力は獨逸が優逸であり英佛もその劣勢を認めてゐるため、一層バルカン諸國の不安を買つてゐると傳へられてゐる。又英佛近東軍のバルカン進出を阻止するため、ム伊首相が獨逸と連繋して電撃作戰に出づべく考慮してゐるのではないかと云はれ、今やバルカンには流言蜚語亂れ飛んで戰々競々文の有樣である。更に羅國政府がドナウ河の增水を理由として、石油を含む獨逸向貨物一切の積出を停止したと米電が停へてゐるが、事實とすれば羅國政府の措置は事實上の對獨輸出禁止を意味するものであり、羅獨兩國關係のみならず、戰火がバルカンに飛火する導火線となるのではないかとみられ、バルカン、近東方面の不安は益々增大して來たようである。

    レ佛首相が、最早中立國に存在し得ないと云つた如く英佛も獨逸も勝利のために、必要に應じて群羊の如き中立諸國の獨立と權益とを蹂躙してゐる。戰局の展開次第では、ペルギー、オランダ兩國を始め、バルカン諸國も又その全力的な中立維持への努力に拘らず、遂に戰火に捲き込まれる危險が、急速に增大しつつあることは蔽ふべからざる事實であり、全國大動亂への危機が刻々迫つて來たようである。

    北歐戰に於てもみられる如く、今次歐洲戰爭は中立國の嚴正中立を極めて困難ならしめ、交戰國と中立國の區別を願る不明確ならしめるばかりでなく、交戰國本土ではなく、中立國の犧牲に於て苛辣深刻な戰爭を行つてゐるのである。謂ゆる目に見えた中立侵犯でも目に見えざる中立侵犯でも、中立國の平和を脅威し、權益を侵害することに變りはなく、中立國の迷惑、被害は勿論である。今次歐洲戰の特徵であるとは云へ、中立國內に於て、しかも中立國の犠牲に於て交戰國が戰爭を行ふに至つては、實に言語道斷であると云はねばならぬ。

    英佛の對獨封鎖陣の強化は必然的に武力爭霸戰に展開することは今次の北歐作戰に於ても明瞭である如く、バルカンに於ても又北歐の二の舞を演ずるのではあるまいか。英佛の封鎖とこれに對抗する獨逸の強硬態度の中間に狹まつて、板挾みの苦境に喘ぐ群小中立國は實際浮ふ瀬がないのである。今次の歐洲戰爭勃發以來、全歐の群小中立國は嚴正中立を維持するために、慎重な態度や持して来たのであるが、しかし戰爭は寧ろ群小中立國の意向に逆行して、彼等を戰爭の渦中に次から次へと捲き込むのである。戰爭が次第に深刻化し、手段を擇ぶ餘裕のないせつぱつまつた狀態に立ち至れば、英獨兩國の群小中立國に對する態度は、單なる重壓を越へて英獨何れへかの參戰を強要するに至るであらう。かくなれば、佛首相の演說の如く、もはや中立國は存在し得ないこととなり、全歐大動亂に陷るよりはないのである。

    開拓を待つ資源 海南島踏查記/柴田勝春 海外遊記

    惠まれた資源

    陵水は山のなかにある大きな縣城である。警備の山屋部隊長は訪ねた我々を心から歡待して、自ら先にたつて縣城を隈なく案內してくれた。或る古い學校の校庭、勿論いまはにげて住む人もない庭で、山屋部隊長は南天に似た細い木に一ぱい實つてゐる實をちぎつて我々に示した。「諸君、なんだと思ふ。これは野生のコーヒーだ。しかも栽培したものよりか幾倍品質のよいコーヒーが、ほつて置かれてもかう澤山實つてゐる」

    山屋部隊長はそれから城內へを我々を連れて行つて、菱形の實をそれが一面生へてゐた木からとつて皮をむいた。

    「これはパンヤ、木になる綿だ誰か種子を棄てたものが自然のまゝこんなに成長してゐる。まだある。ザイル、ジユート麻類―なんのことはない人手を借らずに成育してゐるのだ。この海南島がどんなに惠まれた土地であるか。語らずして判るとはこの事だ。寶の島―と言つても不自然ではないネ」

    海南島の夢、それは古い火成岩で構成された赤土の下に、まだ本格的な調查からのがれて眠つてゐる鑛物資源に在る。金、錫鐵、黑鉛、硅藻土―若し大仕掛なボーリング調查でもやるやうになつたら、この他に何が飛びだすか判らないのだ。陵水の先の山の間に「崖縣」と同じやうな溫泉が湧いてゐるし、海岸寄りの臺地には鉛を二十%含む有毒水が噴出してゐる。

    また三亞の近く、楡林港から僅か十粁の地點には真赤な土饅頭みたいな山がある。全山六十五%の鐵石だ。その頂上には含有量一萬噸の岩がゴロリと胡坐をかいてゐる。我々が立寄つて來た新英港の奧の那大では、五指山々系から降つてきた島民が拇指大ほどの砂金をだして、陸戰隊の兵隊さんの乾パンと交換したいと申込んだりする事實から推して未開の寶庫の名稱もあながち嘘ではない。那大、嶺門、龍塘、中央背梁五指山々系の交通不便な地域に、金の徵候のあることは確かである錫は軍需鑛物として重用なものだが、それも那大が昔から有名だし、文昌や嘉積附近は良質の黑鉛が採れる。海岸邊りの鐵の露出鑛があつたり、金の石英層があらはな肌を曝けだしてゐるのからしても、その奧の山脈、臺地溪谷や密林中にどんなものがあるか、疑ふ餘地はないのだ。

    素晴しい海の幸

    鑛物資源もそうならば、東京灣アリフラ海、魔の南支那海、そして太平洋に續く島の周圍の海はどうだ。陵水から歸つて、再び東側をめぐつて海口への船便を待つ我々が、或日の夕方三亞の濱から、夕日を浴びて漁をしてゐる漁船へ

    オーイ、生で食べる魚とれたら吳れ―」と叫けんだ。我々は久振りで生魚の刺身を、これもやつと手に入れたビール五本で喰べたかつた。

    漁船は親切に濱までトコトコとやつてきて「澤山やるぞーイ」

    と船頭がどなりながら、魚を濱へ投げ落してくれた。何と、二十貫ほどの鮪五本と一丈位もありさうな鮫だ。貰つた方の我々は、この大物をどう處分してよいか、見當がつかなかつた。一本の鮪を運ぶのですら容易なことではない。

    海の幸は島の周圍に無限である鮪、鰹、目の下二尺の連子鯛、そんなものは群をなしてゐる。蟹、鮫、鱶、手取りに出來る大鮑、真珠貝――島民達は西江舟型の漁船にのつて海へ出る。餌もつけない擬似鈎で鈎つた魚、深い入江のへりに自然に出來た天日鹽で鹽漬にする。バナナとライチの實と椰子の實をもぎとつて喰べ賓椰樹の葉を噛む島民達は、別段魚をより必要とはしない。魚は群をなして波打ち際まで餌を求めて廻游してくることもこの島では珍しくはないのである。

    數でこなす牧畜

    我々は大草原で野放しになつてゐる黃牛の群をみた。そのなかの種牛は頸に木片をぶら吊げて悠々と草を喰んでゐた。この島には約二十五萬頭の黃牛と、七十五萬頭の水牛、それに南洋群島にゐる豚が無數にゐる。

    黃牛は體こそ大きくないが冷凍肉として最適のものだそうで、いまゝで廣東、香港、上海方面への島の重要な輸出物であつたといはれてゐる。專門家は年二萬頭潰して行つても別段滅びるやうな影響はなからうと言ふ。黃牛、水牛の牛皮も主要輸出物だ、豚は脂の尠ない肉質のよいものである、それが大陸と交通を遮斷された今日肉も皮も島內でダブついてゐる。革のない內地では買手を待つてとつ張つた牛皮が名無し部落の庭で幾枚も重ねて干されてあるのをみたら氣絕するだらう。至る處果しない草原は、ゆるやかな傾斜の臺地とゝもに海南島が素晴しく有望な畜產地になれることを約束するものである。

    未開拓の林業

    我々の乘つたトラツクが丘陵の際を通過する時、我々と警備の隊員は山へ注意する、何處からかパンと彈がとぶこともあるからだ。だが我々は、物凄い榕樹の雜木の密生地帶の處々綺麗に燒かれて耕された跡に氣をとられる。凡らく毒蛇や毒虫と鬪つて、どこのもの好きが不便な山肌を耕すのだらう、黎族や苗族は、朝鮮のかつての火田民のやうに、山を燒いて畠を作る以外耕地の方法を知らないのである奧地の大密林や山岳地帶以外は島の丘陵にある森林地帶は、土民のそうした燒切畠のために可哀想なほど荒され盡してゐる。火畠の跡は强いスコール性の降雨と灼い日に照されて、伸びる成長の速い榕樹のやうな怪奇な雜木がドシドシ密生してゆく。榕樹は樹質からしてパルプ資源にはならないけれど、重い硬質の建築材にはなる。奧地の山岳地帶は、それは飛行機上の調查だけれど、臺灣檜楓、松、そ□からラワン材が澤山あると報吿されてゐる。パルプ材も或は今後の奧地踏查で見付かるかも知れない。榕樹は雜木だ。斧も這入らぬほどの寄生雜木は、炭にでもしたら、凡らく內地の何處でも作られないほど良質の炭が無盡藏に採れるであらうに―と炭燒きを經驗してゐる一人の警備隊員が呟いた。原始林をなす椰子の實から絞る油で、人造バターや高級石鹼や、そのうへ飛行機發動機の潤活油までとれるし、實のバサバサした皮は纎維として、硬い實は炭化して瓦斯マスクの活性炭になる。島の林業も人力を加へた塲合、我々の想像もつかぬ方面へ躍進し得られるのだ

    心聲 漢詩

    東遊雜詠 北海道途中作/楊靜淵、札幌初雪/楊靜淵、定山溪途中望雪/楊靜淵、定山溪踏雪/楊靜淵、祝翁煌君榮任埔鹽庄助役/溪湖 許復興、祝翁煌君榮任埔鹽庄助役 其二/溪湖 許復興

    浙江、江西を翼下に 我が海鷲荒れ狂ふ 各飛行場に爆彈の雨 頭條新聞

    【漢口十六日發同盟】中支艦隊報道部發表

    我が海軍航空隊は十六日早曉よりその鴻翼を浙江、江西雨省に羽搏かせて敵の空軍最基地たる飛行場及び軍需品積載驛を數次に亘って猛爆夫々完膚なきまでに爆破碎大戰果を收めた卽ち第一次爆擊隊池田大尉の率ゆる一隊は同日午前一時三十分折柄の弦月を浴びて敵空軍據地たる麗水(浙江省中部)を奇襲飛行場を猛爆更に奧山大尉指揮の一隊も同飛行場を襲ひ矢繼早に巨彈を投下續いて他の一隊も同飛行場を襲つたが池田大尉の一隊は數時間を置いて更に麗水を襲し同飛行場を潰滅せしめ大戰果を攻めた又奧山大尉指揮の海鷲群は機翼を休める暇もなく機首を西方に向け一隊は午前八時三十分浙贛鐵道の要衝玉山(浙江省東北隅)他の一隊は年前八時五十分廣信(玉山西南方)を奇襲夫々停車場及び附近に待機中の貨車群に命中彈を浴びせこれを粉砕貨車群を暴破し炎上せしめた又第二次娘擊隊、島田少佐の率ひる編隊群は午前八時三十分過ぎ更に玉山驛を再度空襲驛構內及び機關車庫石炭其他車需品積載場を爆擊千早大尉指揮の一隊は江西省の要衝吉安を猛襲敵は機銃を以て交戰し來たが我が荒襲は巧みにこれを避けつゝ飛行場及び軍需品倉庫に爆彈の雨を降らせこれを潰滅せしめたが各隊とも全機無事基地に歸還した

    社說 少年保護の前提 社說

    社會の清淨明朗化を目標として、少年保護の使命を帶びて「慈愛の法律」少年法か、實施せられたのは大正十一年四月十七日である。內地に於ては爾來 着々と保護機關を整備し、少年不良化の防止及匡救に努めて來たが、特に少年法實施日たる本日を少年保護記念日と定め、每年全國の保護團體、社會事業團體、關係官廳聯繫のもとに、社會各方面の協力を求め、少年保護の旨趣徹底を圖つて來た。本島に於ては種々たる事情により、未だ少年法の實施を見ないが、年と共に益々複雜錯綜する社會生活は、未熟多感なる少年少女の行狀に動もすれば不良の芽を崩さしめ、不良少年を增大せしむる實情にあり、これが防止と善導救濟を使命とする少年保護事業の重要性を一層痛感す るのである。本島に於ても大正十三年より、本日の記念日を全島一齊に實施し其精神の宣揚に努めて來たが、これが徹底を圖るには素より社會各方面の理解と協力に俟たねばならぬ。

    少年時代は志操未だ固まらず感受性、模倣性に富んでゐるだけに、周園の感化如何によつて左右されることが多いのであるから、少年のために健全なる環境を造ることは、最も緊要事と云はなければならぬ。元來少年の不良化は、社會そのものの制度組織の缺陷に原因するものが多く、その解決には吾々社會人の總べてが當らなければならないのである。今これを本島に於ける實生活の上に比見するに、家庭生活の上にも社會生活の上にも、尚幾多の弊風陋習が殘存して居り、これがために少年の純情を蝕み、これを恐るべき罪惡に道ひ込んでしまふことが多い。從つてこれを改善してよりよき家庭を作り、よりよき環境を作ることは蓋し第一の要務である。居は氣を移す。孟子の母が孟子を教育するために、三度まで居を遷したことは餘りにも有名な話である。以つて環境が如何に人間教育に影響するかを知るに足るであらう。

    青少年は未來の生きた日本であり、我等の血の血肉の肉であり、精神中の精神である。又日本國民永續の生命である。青少年層に絕大の希望と、信頼が置かれてゐる所以はここにある。國家百年の大計を樹立するためには、次代の日本を背負ふべき現在の少年に異常の關心を持たざるを得ない。健全なる思想と、國民的自覺とを此少年時代に植えつけるに非らざれば、國家の隆盛は期せられない。ここに少年保護が一層重要視されるわけである。本島は未だ少年法の實施を見ず、ただ保護事業團體、關係官廳に保護の重任を負はしてゐるが、甚だ心細いと云はざるを得ない。最近少年に關する問題が刑事思想の上から、將又社會政策の上から種々議論される樣になり、少年禁酒禁煙に關する法律の施行を見るに到つたが、少年の不良傾向が漸次增大して少年法の對象となるべきるものが、年々增加しつつある實情に對處するためには、可及的速かに本法の施行が必要であると思ふ。

    椰子の上に赤い月 海南島踏查記/柴田勝春 海外遊記

    感激の自治

    海南島へ日章旗が樹てられてから約一箇年間。網の目を潜つて中央山系附近へ逃げこんだ正規軍の殘黨・王毅の一派と、海口との清瀾港の中間地帶へ頑張る女頭目劉秋蘭の率ゐる共產匪の約五千餘が、島といふ全く袋の鼠に等しい自分達の地域的惡條件も考へずに、海南島の明朗化に反逆して、執拗なゲリラ戰をつゞけて來た。その一方、島民の大部分は、皇軍の手を少しも借りずに、自發的に、大眾の要望に基いて瓊崖――海南島の舊名――臨時政府を作りあげて、かへつて皇軍を吃驚させた二つの奇妙な對照は島政治の將來に深い示唆を與へるものである。あらゆる壓政を加へられ通した島民は、四分の一が文盲であるほどの民度の低さにも拘らず、彼等の希望として廣東省政府の統治から脫却して「瓊人自警」――海南島建設――の自由を求めてゐたのだ。皇軍は聖戰の大義を明かにして、島民の理想をうけ容れてやつた。彼等の感激は數百年來の宿題の達成とゝもに、自ら島治安維持のために自衞團、宣撫班を結成して皇軍と協力しやうとする努力でもはつきり首肯できる。大陸からの指示に基いて行動する王毅や劉秋蘭の一派はかうして劃然と島大眾から孤立してしまつた。しかも何處へも逃げられぬ島內でまさに全滅への掃蕩をうけてゐる明朗海南島――それは夢ではなく、現實に、旬日を出でずして出現するのだ。我々は茲に聖戰の意義深い真の成功をみる。

    有望な華僑

    島民と南洋華僑の關係は極めて重要なものである。壓政にたまりかねた、文化に惠まれなかつた島民の第二の希望は、外地へ出掛けることであつた。新嘉坡から馬來半島にかけて、四百萬近くの下層勞働力として存在する華僑の大部分は島出身であると言つてよい。そして彼等華僑は故鄉の島へ一箇年約二千萬圓を送金してゐた。家鄉を護る家族達は、その送金で外地米を買ひ、働いて島を開拓する本來の使命を忘れた怠惰な民となつたとも言へる。小金を貯めて島へ歸つた連中は、これも働かずに、內陸とのさゝやかな貿易位を商として遊んで暮すといふ有樣で、島の開拓の遲々たる理由もさうした生活を度外視は出來ない。だが海南島が新しい瓊人自警の理想の許に更生するといふこの塲合、こゝでうち樹てられた東亞の理想に基づく政治は南洋に分布する四百萬の華僑の心理にどんなに大きな影響を與へることであらう。民度の低い華僑へ質的影響を求めることは難かしいかも知れないが、量的關係として、日支合作の理想は大きな力となつて赤道直下まで溢れるであらうことは考へられる。

    どれも欲しい特產物

    限りなく發展する人間の欲望を充す物資のすべては、地球を縱に、北極から南極まで西瓜みたいにたち割つた地域に存在する。實際ありのまゝ海南島の椰子の下で眺められ得る熱席の物資は、今日日本にとつてすべてが入用のものばかりである。日本が輸入する熱帶特產物、コーヒー、カカオ、紅茶、ニツケイ各種味付香料、ゴム、麻綿、ザイル、ジユート、エヂプト綿類は年額一億四千萬圓にのぼる巨額だ。林產、錫、アンチモニー鐵の鑛物、水產物その他―だがそんなものがどうやら海南島で自由に、豐富に、そして圓ブロツク內で供給されるとしたらどうだ。大きな期待だ。我々はザツとこの二つの眼で視まわした範圍で、夢ではなく、赤灰の島の、まだ人間の鍬を知らない土地が、豐かに、この夢を實現出來ることだけを確め得たのである。

    國防經濟の將來性

    我々が海南島に別れる前夜のことだつた。椰子の上に赤い月が夢みるやうにのぼつて、空には寶石のやうな星が輝き、風は初夏の快さを漂はせてゐた。我々は浴衣一枚で涼風を胸一ぱいうけ、ビールを飮んで明けやらぬ宵を、寒風が吹き荒ぶる故鄉へ淡い追憶をよせながら「海南島の將來性」について、老體にむち打つて同じ樣にこの島を視察に來てゐた某產業家と語り過した。その老產業家はゴムー日本がどうしても必要な―栽培の可否を調べに來てゐたのだが、我々は彼の熱情的な言華に强く胸をうたれた。

    「諸君は海南島の經濟開發について悲觀と樂觀の二つの論議をしてゐる。しかしその論議は資本主義的自由經濟上の論議であつて、今日の如く、國家統制經濟をとらざるを得ない必然的趨勢の時代には全く用はなさないのだ。はは老體をひきずつて南十字星の島へやつて來た、私のゴム栽培の永い間の經驗では南洋で五年目に生ゴムのとれるものが、この島では十年は掛かる。假に十萬本のゴムが十年目に一萬トンの生ゴムを生產したとしても、凡らく需要する國內消費はその生產目標から幾何學的に增大してゐるのであらうしまた南洋ゴムとの五年の差は、とれた生ゴムが事實上の價値の數十分の一しかの役目を果せないといふ結果を釀しだすことは明かだ。そうした悲觀すべき結果を豫想しながら、ゴムばかりではなく、島資源全體を開拓しやうと計畫する理由は、勿論私達の生存中に求め得べくもない期待と効果を、尠くとも次の時代の日本人に遺すためなのだ。例をゴムにとるならば、十年後生ゴムが僅か一萬トンしかとれなかつたとしても、それだけが、圓ブロツクのなかで、必要とする祖國のために作られてゐるぞといふ「强み」を作るためなのだ。經濟はいたづらに利潤の追及だけが本質ではない。國防といふ精神の含まれた經濟觀念の存在もあるのだ!」

    ×    ×

    眠つてゐる無盡の寶庫が、圓ブロツクのなかで、我々の手で人類と民族の福祉のために開かれるのは何時か。まづ產業報國の熱意が椰子の葉かげで、新東亞建設の息吹きとなつて燃えかる日もさほど遠くはないであらうが、第七十四議會で海相であつた米內總理が「南太平洋の制海權我手に在り」と獅子吼した深い意味とともに、日本人は海南島の實體とその將來性への深い洞察が必要である。(筆者は同盟特派員)

    十五年度の豫算實行 來月に具體方針決定 天引主義を若干緩和 頭條新聞

    【東京十七日發同盟】昭和十五年度豫算の實行に當つては物資、勞務、資金等の諸計畫、戰時物價政策等と睨み合せて極力節約繰延を行ふこととし旣に去月三十日閣議で六項目に亘る豫算實行方針を決定し各省ともこの方針に基き發註支佛等を手控へてゐる實情であるが櫻內藏相は十五年度物動計畫の決定を俟つてこれを基準として實行豫算を編成する方針であつたが右物動計畫の正式決定は五月末となる見込であり斯くては起工、發註等に時機を失し豫定計畫の遂行に支障を來すので近く四、五、六三ヶ月間だけの部分的物動計畫の概數が決定するのを待つて五月初旬十五年度豫算實行の具體的方針を決定することとなった。從つて天引主義を若干緩和して款項別削減主義を加味し再建に依る實行算を編成する方針の下に旣に豫算の大部分を占むる國防豫算、軍事費豫算の主管者たる畑、吉田陸海兩相に對し協力を慫慂した所兩相ともこれを諒として陸海軍修正軍備計畫、臨時軍事費追加豫算に就き嚴重なる再檢討を加へ出來得る限り節約繰延を實行して不要額を捻出することゝなり陸海軍經理當局で目下これが計數を整理中である、これと共に大藏省でも各省豫算に再檢討を加へつゝあるので陸海軍に次で文治各相に對しても近く藏相より節減繰延に就き具體的交渉を開始する筈である

    社說 小磯拓相を迎ふ 社說

    小磯拓相、南支皇軍慰間の途次きのふ來臺、具さに事變下の臺灣を視察することとなつたことは感激に堪へない、ただ例によつて匆忙の日程、民間人と膝つき合はして談合する餘裕を全然とつてない如くであるのは頗る遺憾ではあるが犀利な眼光で無形に見、俊敏な頭腦で無聲に聞くならば、臺灣が何を拓相に期待するか、命題の中心を逸することはあるまいと信ずる。

    現職の拓相が臺灣に足跡を印したことは初めてだといふ、これは我が國の閣僚が餘りに忙しいことと、出不精の慣例によるもので、必ずしも臺灣を輕視するものとは解しないが、臺灣が航空一日の旅程に短縮した今日また事變後凡ゆる點で著しく重要性を加へて來た今日今少し手輕に來臺を希望したい、吾人は小林總督の場合にも進言した通り、總督親任の際には南支、タイ國、蘭印、比島等向ふ三軒兩隣りには引越しそばを配つて挨拶廻りをする慣行を作りたいといふ持論を有するものである、拓相もまた大廟への親任報告參拜 に次いで、外地並に隣接諸國にお披露目の親善訪問を定例行事にされたいと思ふ。

    南方諸國は日本を恐れてゐる日本が領土的野心を抱いてゐる如く誤解してゐる、これがため榮螺が外敵に遇つたやうに固く門戶を鎖して邦人の進出を阻んでゐる、こんな情勢の下に於て何か事が起つたとき領土的野心はないと思ひ出したやうに放送しても効果のある筈がない、總督なり拓相なりが引越しそばを配つて談笑の間に平素から親善□空氣を釀し出して置くことが最も望ましいことだと思ふ。

    小磯拓相は南進論者として著聞する、今議會の眾議院豫算拓務分科會でも、山本厚三氏の質問に對し「南方地方は豐富な資源を包藏してゐる、臺灣及び南洋廳を起點として平和的經濟的に進出したい」との答辯を試みてゐる、拓相來臺と時を同じうして蘭印の風雲急なるものがあるのは何等かの宿命的因緣がある如くさへ思はれる。

    今回の事變を契機として臺灣の觸手は遠く新南群島まで伸び出した、廈門や海南島を踏石として南へ鵬翼の陣を張るためには臺灣は扇の「耍」であり、兵站の基地でもある、この意味で臺灣の統治は從來のイデオロギーから進一步の飛躍をなさねばならぬ、臺灣自體が目標であつた場合と、臺灣を臺所として外に勢力を張らうとする場合とでは統治の形式に於ても、またその內容に於ても自ら行き方が違つて來なければならぬのはいふまでもない、何時までも四ッ身の着物を着せてああでもない、かうでもないと干涉するばかりが 能ではあるまい、將來總理を豫約されてゐる小磯拓相の來臺を歡迎すると共に十分臺灣今日の實狀を窮められんことを切望して止まない。

    心聲 漢詩

    寄蒲園並似鵬程/竹軒、次韻/蒲園、次韻/鵬程、遊寶塚作/蒲園、寶塚泛舟/蒲園、寶塚泛舟 其二/蒲園、讀蒲園遊寶塚詩有作/竹軒、哭莊炳南姉夫/蒲園、哭莊炳南君/竹軒、哭莊炳南君 其二/竹軒

    中條(山脈)の峻險を突破 隨所に敵の抵抗を粉碎 頭條新聞

    【南部山西前線にて十八日發同盟】山西省や東西に走る中條山脈の各據點には最近又復第四集團軍長孫尉如の率ゆる趙壽山麾下第册八軍第七師獨立第四十六旅、黃仲麾下第九十六軍第七十七師獨立第四十七旅、楊振邦麾下新編第三十五師の合計約二萬が集結し交通遮斷後方攪亂に執拗な蠢動を企畫してゐたが我竹田、重松、荒木、大滝、小林の各部隊精銳は十七日佛曉これを殲滅すべく一齊に猛射の火蓋を切り一氣に中條の峻嶮を突破敵の抵抗を隨所に粉砕しつゝ敵を黃河々岸に壓迫し近來稀に見る赫々たる戰果を收めた、卽ち竹田、重松、小林の各部隊は運城東南十六粁の張店鎮南方地區にある敵陣地を逐次撃碎しつゝ南下し正午には大臣村、午後二時半には柑蜜を抜き午後四時半早く平陸東方八粁の敵最大補給路たる茅津渡を完全に占領した又運城東南方地區より行動を開始した荒木部隊は下樂街、下張村の堅陣を陷れた後一路平陸に突進し午後三時半同地を占領、一方中條山脈最西部の二十嶺を突破進擊した、大滝部隊の新銳は所在の敵匪を蹂躪しつゝ破竹の如く陌南鎮に殺到、午後一時同地を占領した、我合部隊のこの急進撃に敵の大部分は完膚なきまでに抑き潰され茲に同地區一帶は再び明郎化するに至つた

    社說 非常時下の 吏道刷新論 社說

    杉山平助は曾て東朝紙上に「切腹の復興」といふことを書いた、その要旨は切腹は野蠻の遺習といはれるが、近ごろみたいに政治家達が責任のなすり合ひを行ひ、敢然として一世を双肩に擔ふ概なき世相では野蠻といはれる切腹にも亦一脉の凉味を覺えずにはゐられぬ、世間にはいろいろ何かやりたい政治家もある、やるのは勝手だが、事成らざる曉には潔よく腹かつさばいて頹廢せる吏道に眼のさめるやうな活を入れて貰ひたいといふ筋であつた。

    言は聊か奇矯の嫌はあるが、その論旨には全幅的に賛成したい、在任中何かやりたいといふ官人の功名心といふか、責任感というか、さういつた心構へは正しい、またそれあるが為に國家、社會の進步發達もあり得るけれども民生の動向を無視し、社會の實狀を顧慮せずにいはゆる獨善的見解から事業を強行して、その結果がどんな悲慘な羽目に陷らうとも一切頰冠りで風馬牛を極め込まれては國民は助からない。

    尾籠な言葉ではあるが、下世話にいふ糞小便の垂流しで恬として責任をとらずその地位に晏如たるものがあるならば、國民の血が、そして骨が許さない。炳乎たる事實の前に故意に眼を塞ぎ罷めやうともしないやうな世相の下に「腹切り論」が飛び出すのも決して不思議ではない、腹を斬れば赤い血が流れる、生命が斷たれる、誰でも好き込んで斬る者はないが、男の意氣地のため、官人としての責任のため從容として九寸五分をとり得る人が一人や二人はあつてよい筈だ。

    具體的の事例はここに詳論しないが、今日のやうに政治が全面的に官吏の手によつて行はれる際には、間違つたら腹を切る位の真劍さが官更に對して要望されることは當り前だ、同時に最近墨西哥で公布された官吏責任法に類する非常立法もまた考慮されてよいと思ふ、これは官吏の瀆職を取締る消極的規律ではあるが、尠くとも當座の「鹽」の役目は果し得るであらう。

    該法の規定によれば官吏は就任と同時にその財產の總額を細大洩さず登錄しなければならない、若し在任中理由不明の財產のあることが發見されると、その新財產は國家に没收された上に禁錮若くは罰金刑に處せられる、而かもこれは官吏自身だけでなくその家族にも適用するといふ手嚴しい法律だ。

    吾人は官吏を目の敵にするのもではない、こんな論議を吐いて快とする者でもない、しかしながら官吏の一舉手一投足が今日の如く社會民人の生活に深く影響を持つ際に於ては、その行藏は慎重の上にも慎重であらねばならぬ、上に責任に殉ずる上長あり、下に廉直の吏僚があつて政治が運行されるならば、この重大時局め克服も敢て至難ではない、一片耽々の婆心から本稿を草した所以。

    心聲 漢詩

    怡園擊鉢吟 白桃花/篁川、怡園擊鉢吟 白桃花/燕生、怡園擊鉢吟 白桃花/篁川、怡園擊鉢吟 白桃花/小魯、怡園擊鉢吟 白桃花/竹修、怡園擊鉢吟 白桃花/鶴亭、怡園擊鉢吟 白桃花/少英、怡園擊鉢吟 白桃花/了菴、怡園擊鉢吟 白桃花/汰公

    敵の積極企圖なし 我軍は討伐を續行 南支で敵輸送路を紛碎 支那派遣軍發表の戰況 頭條新聞

    【南京十九日發同盟】支那派遣軍報道部發表

    四月十三日以降本日に至る迄の戰況左の如し

    概況 前週と同樣敵の積極的企圖は全然見られず我軍は依然各地に積極的討伐を續行中である南支に於る陸鷲の爆撃は多大の効果を擧げ敵の新輸送路を粉碎した又各地方に於て國共兩黨が依然對立し戰闘を續けつつあり十二日岳州上空に敵爆擊機十六機飛來したが我防空砲火に依つて洞庭湖に擊墜された本日の蔣派新聞紙は南昌、安徽方面支那軍大勝宣傳をしてゐるが我方の自主的配備の變更に依つて屢々誘致反擊せられてゐる

    一、北支方面 永井部隊十二日河北省安國西方の呂正操を奇襲し川原部隊は新城東北大清河左岸の龍凹河頭附近に於て吉澤部隊は大車城附近で夫々一千の敵撃破した察哈爾省蔚縣東南方に蟠踞する共產系邱遊撃隊約一千は綠川、森田、堤各部隊に依り礬山東南方の共產軍第三師團五百は長隈部隊に依り掃蕩された外山西省南部平陸を中心に蠢動中であつた孫蔚如軍は十七、十八の兩日に我各部隊の急襲を受けて潰滅敵の山西省地區への物資補給點は遮斷されるに至つた

    二、中支方面 十一日佛曉敵新編第十、第十二師約千五百は錦江を渡河來攻の氣勢を示したので落合部隊はこれを反撃大打撃を與へて潰走せしめた武寧□備隊は十二日新溪原源(武寧北方十六キ口)附近に於いて約一千の敵を掃蕩した外南林橋南方の中峯仰山殿附近の百三十四師及び百七師の一部を討伐中である咸寧東方高橋附近の敵は十六日內藤部隊に依つて掃蕩され瑞昌南方地區を討伐中の佃部隊も同地區一帶の敵を撃破安徽着時村□備隊は十日新四軍を急襲し又他の討伐部隊は十三日巢縣及び次の附近一帶も掃蕩した林部隊は三月下旬より江北周邊地區一帶の第百十七保安隊六旅を討伐同地區の肅清を完了した

    三、南支方面 欽寧過東側地區の掃蕩の多大の戰果を收めて一先づ終了したが廣西將軍の戰力低下は上陸當初と比較して顯著なものがある

    社說 親族相續に關する法案 理想近き制度の確立を期待 社說

    わが本島永年來の懸案たる民法親族相續篇を本島人に適用するに付き設くべき特例および之に關係する諸法案は督府法令取調委員管に於て、昭和十三年十一月以來一年有餘にわたり、調查研究の上草案を作成、去る二日之を可決し、總督に答申することになつた。今後督府審議室で一應審議した上、拓務省を經て法制局へ廻付する順序になつてゐるが、これらの審議機關を通過し、法案の最後確定を見るに至るまでは尚ほ相當の日子を要し、成文の公布は早くても來年頃になるであらう。尤も親族相續法の實施は本島人の家族生 活に重大なる影響を及ぼすのであるから、法令公布してもその實施に至るまでの公示期間は少くても一ケ年位をおくべきであり、從つてその實施時期は早くても明後年以後になるだらうと見られてゐる。

    親族相續に關する本島の慣習にて如何なる變更を加ふべきかに付ては本紙も曾て識者の意見をきいて論及したところであるが、ここにその要綱を舉げれば、先づ(一)妾、招夫及び招婿の制は將來に向つて之を廢止すること但し現存する妾、招夫、招婿の身分については變更を加へず(二)養媳及養婿は之を養子と看做すこと(三)本島人の相續を戶主相續と財產相續とに分ち戶主權の觀念を明にし家族制度の基礎を確立すること(四)一部の變更を加へて分頭相續制を存する、卽ち特に長子に一定の法定割合額を與へてその殘額を長子を入れて分頭相續すること(五)男子なき場合に於ける女子の相續權を認めること、(六)遺留分の制を確立すること等の六點である。法令取調委員會ではこの方針に依つて立案されたのであるが、何れも本島人の私的生活上に重大な關係を有する事項であるから一般識者の理解を深かしめる為めその成案を公表され、又政府に於て慎重な審議を進められることを切望する。

    本島人親族相續に關する慣習を特例として改正すべき事項は大體上述の諸點であるが、その外に從來既に判例は民法の規定を條理として本島人に適用するやうになつてゐる事項も少くない例へば親族の範圍、戶主及び家族に關する法律關係、隠居の制度、親權、後見並保佐、親族會扶養の義務、相續の承認並拋棄遺言等の如きはもはや特例を設ける必要なく、民法の規定そのままを適用することは何等差支へないものである。故に本島人の私的生活の慣習著しく內地化した今日に於て、特に存置を必要とする重要なる慣習のみに付き特例を設けて、民法の親族相續篇を本島人に適用せしめんとする立法方針に依つて法令取調委員會の作成した草案は大體適切妥當なるものと認めざるを得ないが、政府當局に於ても更に慎重なる審議を遂げられて比較的理想に近き親族相續制度の確立を期待して已まない。

    心聲 漢詩

    白桃花/竹修、白桃花/鶴亭、白桃花/雪滄、白桃花/魯詹、白桃花/遜庭、送許廷魁兄渡滬依留別瑤韻/吳靜閣、與友人坐松下靜觀峽水清澄可愛喜而賦此/潛廬 黃景南、踏青/潛廬 黃景南、海南屋飲茶次映西君韻示某女士/李詩瓢、次韻/黃艷珊、次韻/杜了紅

    平陸對岸の要衝! 隴海線に巨彈の雨 敵軍用列車を爆碎 頭條新聞

    【黃河北岸◯◯二十日發同盟】黃河北岸平陸を陷れた我が荒木部隊は十九日正午平陸對岸の要衝河南省陝縣縣城南方の隴海線に巨彈の雨を浴せ折柄進行中の敵軍用列車を爆碎貨車を顚覆せしむると共に隴海線を完全に遮斷した

    【○○基地二十日發同盟】山西の南端の要衝平陸、茅津渡を攻略した我が各精銳部隊更は更に鋒を東に轉じ敗走する敵を追つて十九日午後八時隴底村を占領し更に附近の敵を掃蕩中である、一方陸鷲山崎部隊はこれに協力し廿日午前陸續出動し隴底村附近の堅陣に據る敵大部隊に對し猛爆を加へ多大の戰果を收めた

    社說 島內地方銀行監督權と督府 社說

    島內各銀行は內地銀行法の施行に依り主要六業務は舉つて大藏省の監督下にあるが、朝鮮に於ては夙に制令に基く銀行令の施行に依つて發券銀行たる朝鮮銀行以外は凡て朝鮮總督の監督下にある事は臺灣と著しく異なるところである。蓋し發券銀行の監督權を大藏省に所屬する事は全國的に統一せる通貨政策を施す上に於て大に理由のあるところであるが、島內地方銀行迄も大藏省の監督を受けねばならぬとは、其の理由が頗る薄弱であると言はねばならない。尤も督府財務局長を銀行監理官に任命して銀行業務を監理してゐるが、多少重要なる事項になると悉く大藏省の許可を受けねばならぬ狀態にある。例へば文店を增設せんとす場合、又は一分の增配を斷行せんとする場合には其の可否を決定するに最も島內の各種事情を詳知してゐるも督府の諒解を受くるよりも、ワザワザ銀行の代表者が東京まで出掛けて大藏省の承認を求めてゐるが如きは餘りにも督府の威信に關する事ではなからうかと思はれるのである。

    若し自由經濟を基調とする時代にありては、銀行の監督權は單に其の業務の行使が正當なりや否やを監理するのみであるから、大藏省と督府のいづれに屬しても別に大して支障を來さないであらう。ところが現在の如く戰時經濟の遂行上に於て各種經濟統制を強化する必要に迫られてゐるが、產業方面に對應する所の金融方面に對して直接の監督權なきため臺灣總督として充分に其の責任を果す事が出來ないのである。殊に同じ金融機關たる島內信用組合が督府の監督を受け、其の實力が寧ろ島內地方銀行以上になりつつあるの で、獨り地方銀行のみ取離さねばならぬだけの根據はなからうと信ずる。今昭和十四年末の島內地方銀行及び貯蓄銀行の預金殘高を見れば一億九千四百萬圓に對し同貸出殘高は八千三百萬圓しかなく、一方に昭和十四年九月末の全島信用組合貯金殘高一億五千二百萬圓に對し貸出殘高一億七百萬圓に上り、預金こそ地方銀行より少ないが、貸出方面は寧ろ地方銀行以上の業績を舉げてゐる。のみならず地方銀行の預金の內信用組合の預金が約二三十%を占めてゐる模樣であるから、金融的實力から言へば其の職能こそ異つてゐるが今や地方銀行は信用組合と大なる逕庭がなくなつた。從つて地方銀行も信用組合と同樣に督府の監督下に置いた方が寧ろ此の兩者の關係をより合理的に調整し且つ協調させる事が出來るのである。

    もう一つの問題は同じ金融機關たる信託會社を監督指導する必要上、本島に信託法令を施行せねばならない事は十數年來の懸案であるが、周知の如く監督權を繞つて大藏省と總督府が相讓らざる為今でも未解決の儘になつてゐる。然るに輓近江島內に於ける各種預金の增加に伴ひ信託會社の信託預金も激增の趨勢にあるが、之を金融機關として法的に統制する事が出來ない現狀にある。朝鮮に於ては既に地方銀行と同樣に信託會社も朝鮮總督の監督下にあるから、本島に於ても地方銀行の監督權問題と共に信託會社の監督權も此際同時に臺灣總督府に移讓すべき事を強調し、特に島內官民の一致努力を要望せざるを得ない。

    諾威中部トロントハイム附近で 英獨兩軍大決戰か 英佛聯合軍續續諾威へ 頭條新聞

    【ロンドン二十日發同盟】英佛聯合軍は續々大部隊をノルウエーに輸送しつゝあるが各方面の情報を綜合するに英獨双方の陣形左の如くで近くトロントハイムを中心とするノルウエー中部で一大決戰が展開されるものと見られる卽ち

    一、英國遠征軍の主力はトロントハイム北方百三十キロのナムソスに上陸ノルウエー軍と聯合して鐵道に依つてトロントハイム方面に早くもナムソス北方四十キロのグロングに於いて獨軍前衛部隊と前哨戰を展開した。

    一、これに對しトロントハイム方面の獨軍は逸早くトロントハイムよりスエーデン國境ストルリエンに至る鐵道百キロの沿線を確保しトロントハイム、フイヨルドと國境に挾まれた狹隘な天嶮を據り英軍を邀撃すべく戰備を備へてゐる

    一、オスロ、トロントハイム間鐵道はノルウエー軍のため破壞され一部はノルウエー軍の掌中に在るためドイツ軍は大型送機に依りオスロ方向より續々兵力を增强してゐる。

    一、一方二十日朝ロンドンに達した報道に據れば英國遠征軍の一部はトロントハイム西南方百六十粁のモルデ港にも上陸したと傳へられこれが事實とすれば英軍は同方面よりオスロ、トロントハイム鐵道中間のドブレニーで同鐵道を遮斷してトロントハイムのドイツ軍の背後を突かんとする作戰と見られるかくてトロントハイムを中心とする英獨兩軍の一大會戰は今や目前に迫つたがこの外英軍の一部はナルヴイク及びその西南方ポドにも上陸し同地のドイツ軍を完全に獨立狀態に陷れたしかしドイツ軍としては北部のナルヴイクは地理的關係から萬一の場合は放棄すら覚悟で南部における主力戰で勝敗を決せんとするものと、豫想されてゐる

    生活必需品十種目に 急速に切符制度確立 價格形成委員會で決定 頭條新聞

    【東京二十二日發同盟】價格形成中央委員會議は二十二日午前一般部會を同午後農林水產品部會を商工省に開催して夫々左の如く決定を見た

    ◇一般部會

    一、米、味噌、醬油、砂糖、玉子、マッチ、木炭等の生必需品約十種目には急速に切符制度その他適切なる對策を確立しこれに依りて適正價格の設定及び必要數量の生產並に配給を確保する

    一、前記十萬品目の外準生活必需品と目されるものを第二次生活必需品として追加計上し次回でその範園決定する。

    一、總會に附議して價格の決定をなす品目を左の通り定める

    イ 配給機構その他一般對策と關聯して決定する品目

    ロ 他の部會と互に關聯ある品目

    ハ 各部曾で總會に附議することを適當なりと認めた品

    ◇農林水產部會

    一、專門委員會の種別を次の四項目とする

    イ 食糧農林水產物專門委員會

    ロ 林產物(木材その他)專門委員會

    ハ 農林水產資材專門委員會

    ニ 一般農林水產物專門員會

    一、農林水產品部會で取扱ふべき品目を食糧品部會で取扱ふものと重複せぬやう穀類、生鮮食糧品などは農林水產部會に包括せしめる、この結果食糧品部會では主として罐詰等を取扱ふ

    社說 南方政策の 遂行と本島人 社說

    東亞新秩序を建設し、東亞の安全、平和を確保、その實現を目指す我國は、今や國を舉げて支那大陸に於てその實現に努力しつつあるが、しかし大陸政策の遂行と併進して、謂ゆる南方政策の強化實現をも期さねばならぬことは云ふまでもない。

    元来大陸政策と南方政策とは、我が東亞新秩序建設に於ける車の兩輪の如き相關性を有するものである。卽ち大陸政策に依る日、滿、支經濟ブロツクの 確立と國防の完備に依り、陸より來る脅威を完全に制壓することが出來ると共に、その資源をも確保することが出來る。而して南方政策の圓滑なる運營に依つて、海より來る脅威を鎮壓し同時に熱帶地方特有の貴重且つ豐富なる資源を確保することが出來る。それ故に、大陸政策と南方政策とは、軍事的からしても、經濟的から云つても併進せねばならぬ相關性を有するものであつて、大陸のみに没頭して南方を等閑に附するのは片手落ちと云はねばならぬ。

    而して我が南方政策の足場卽ち南進據點は、地理的よりみても、歷史的から云つても、臺灣島にその中心を置くべきであることは恐らく何人も異論あるまい。又その資源開發、經濟進出には最も好條件を備へてゐる本島人を第一線に立たせて行ふべきであることは云ふまでもなく卽ち本島人こそは、我が南方政策遂行に缺くべからざる人的資源であると信ずるのである。

    南支居住者は全部文那人であるが、南洋各地で活躍し、その經濟的實力を握つてゐる者も、又殆んど南支出身の華僑である事は世人周知の事實である。それ故に彼等と接觸し或は彼等と對抗競爭するには彼等と殆んど同樣な文字言語風俗生活等を有する本島人を以つて當らせるのが、最も効果的であることはタイ國に於ける實例に徵しても明らかである。我が國の南方發展は先づ本島人をドシドシ第一線に送つて、活躍させる政策をとるのが最善策ではないかと信ずる。

    目下來臺視察中の小磯拓相 は、平沼內閣時代に於て、かつて我が南方行政を一元化し、南方政策の確立化を企圖したことがあつたが、平沼內閣の退却と共に辭任したので、そのまま立消えの形となつたが、米內內閣出現と同時に、再び迎へられて拓相に就任した際、前に手をつけなかつたことを今度こそ實行したいとの決意を披瀝し、又去る議會に於ても、南方地方は豐富な資源を包藏しゐる、臺灣及び南洋廳を起點として平和的經濟的に進出したいとの意向を明らかにしたことがあつたので、本內閣に於て、その企圖、抱負經綸を實現せしめるのではないかとみられ、從つて拓相企圖の我が南方政策の確立強化も今度こそは實現されるのではないかと頗る期待されてゐる。

    歐洲戰爭の餘波を受けて、蘭印の危機が傳へられ、世界列強の耳目が一齊に蘭印地方に注がれてゐるとき、南進論者小磯拓相の本島觀察及び南支の慰問行脚に大なる期待がかけられてゐるのである。

    心聲 漢詩

    內子率雲龍由臺來京看余傷足/灌園、重遊熱海/灌園、東遊雜詠 宿登別溫泉/蘇澳 楊靜淵、青森港/蘇澳 楊靜淵、函館薄暮/蘇澳 楊靜淵、偕松邨詞兄遊十和田湖/蘇澳 楊靜淵、松島公園/蘇澳 楊靜淵

    我占領地域內の敵に 徹底的打擊を與ふ 三月中の主要作戰綜合戰果 大本營陸軍部發表 頭條新聞

    【東京二十三日發同盟】蔣介石の所謂冬季攻勢は完全なる失敗に終つたため蔣軍は新政權と民眾の離反を策し冬季攻勢に次ぐ春季攻勢字開始、我占領地域內に於ける治安攪亂工作を企圖し頻りに蠢動しつつあつたが我方はこれに對し徹底的打撃を與へ三月中の五原に於ける傅作義軍撃滅戰をはじめとして次の如き著しき戰果を獲得した

    △大本營陸軍報道部二十三日發表三月中に於ける支那事變主要作戰綜合戰果左の如し

    綜合戰果 捕虜三、四一一砲六七九、機關銃一三八、小銃一一、二三六、自動車三◯馬匹、四三九我方戰死四◯◯

    主要作戰細部

    北支方面

    一、五原に於ける傅作義軍撃滅戰

    二、軍渡附近共產軍掃蕩戰

    三、山西省西部一帶の共產軍撃滅戰

    四、河北、察哈爾省境附近共產軍掃蕩戰

    五、交戰せる敵機兵力二十三萬六千

    中支方面

    一、信陽附近敵遊撃隊掃蕩戰

    二、隨縣附近四川軍の撃滅戰

    三、端昌附近の掃蕩戰

    四、長江沿岸の徹底的掃蕩戰

    五、粵漢線沿線山岳地帶の大蕩戰

    六、交戰せる敵側總兵力八萬一千七

    南支方面

    一、靈山々彙の攻略覆撃滅戰

    二、海南島の大掃蕩戰

    三、中山縣城の粛清戰

    四、油頭、潮州附近に於ける殲滅戰

    五、交戰せる敵側總兵力五萬一千七百

    社說 非常時に於ける島民の保健 一段と注意を拂ふ必要あり 社說

    支那事變發生以來、我が國は舉國一致聖戰の目的達成に邁進 して來たが、言ふまでもなく、今次の事變に對する處理は帝國にとつては空前の劃期的な一大事業である。目下此の東洋平和の確立、東亞新秩序の建設のめに國家總動員で人的及び物的の兩方面から全國力を集中してゐるが、此の重大目的完遂の為には今後更に何年間此狀態を繼續しなければならないかは豫段を許されないことである。併し乍ら物的資源の開發は比較的容易なことであるが、人的資源の培養は一朝一夕には出來得るものではないのである、殊に事變中に是非とも必要とされる人的資源を確保せねばならぬが、また戰後の大陸經營には一層の人的要素が必要であることは言ふを俟たないところである、此點より考へて人的資源確保の為めには戰時下に於ける島民の保健に一段の注意が喚起されなければならない。

    彼の歐洲大戰後參戰列國、卽ち戰敗國と云はず戰勝國までが物的缺乏と人的缺乏の為めに極端な疲弊を告げ、國力の回復を討る迄には相當長い歲月を費したことは未だ吾等の耳に新なことである、此際前轍を踏まざるやう吾等は今から一段の注意を拂ふ必要があると考へる。戰爭によつて少なからざる壯丁を失ふことは已むを得ないが、物資缺乏の為めに國民の生活力や健康が低下しその結果國力が疲弊するやうなことがあつてはならないのである。此の弊害を未前に防止する為め、當局が早くから總動員法を發動し、重要物資配給の圓滑を期して來たことは洵に適切な處置と云ふべきであるが、此の點に關し、吾等一般國民もよく自覺して自から一層保健に意を用ひて體位の低下 せざるやる特別の努力を拂はなければならない。

    今次の事變に際し、本島人は皇國の為めそれぞれ前線に又は銃後に重要な役割を果し、相當な働きを為してきたが今後東亞新秩序建設の為めには更に一層重要なる責務を課せられてゐることを十分に覺悟し、その任務遂行の為めに最善な努力を盡さなければならないのである。近來全島を通じて衛生施設の完備及び保健思想の普及に伴つて島民の體位が相當の向上を示して來たがしかし內地のそれに比すれば、尚ほ及ばざるものが多々あることを否定することは出來ない。事變下に於ける國民の一員として將また銃後を護り更に戰後の大陸經營の先驅者ともなるべき立場から考へて、一般島民は自肅自戒一段と體位の向上に精進し、島民の保健に留意すべき必要があることを痛感するものである。

    歷史を飾る劇的會見 阿部大使、汪氏と懇談 頭條新聞

    【南京二十四日發同盟】阿部大使一行は二十四日午前陸海軍最高指揮官訪問を了へ同十一時三十分雞鳴山□の國民政府に汪主席代理を訪問、東亞の歷史を飾る劇的會見を行つた、モーニング姿の汪精衞、褚民誼氏等要人は玄關迄一行を出迎え、軍樂隊の奏樂裡に正面サロンに招じ入れた//ようこそ//と汪主席代理阿部大使の手は溢れる感激を罩めて固く固く握られた、力強い和平建國の揺ぎなき契りが茲にしつかりと結ばれたのだ馥郁と香る薔薇を飾るテーブルを圍んで日本側阿部大使、日高參事官、清水秘書官、支那側汪主席代理、褚民誼外交部長、周亞洲司長の六人の水入らずの懇談に入った阿部大使と汪氏が親しげに何か囁いてゐる、東亞の方向を定める日支新關係情勢に關する話であらうがやがて阿部大使の//御健闘を祈ります//と云ふのに對し//誓つて東亞和平の為に邁進します//と汪氏の力强い答辭が聞え兩巨頭の會見は終つた續いて西側大廣間で國民使節をも交えて交驩のシャンパンがぬかれ兩巨頭を中心にテーブルを圍んで使節團と國民政府關係者は高く杯を擧げた、和平、松山貴眾兩院議長田中、古野兩言論界代表が交々立つて汪氏に激勵の辭を述べたに對し汪氏は鄭重な謝辭を述べ次いで和やかな日支外交驩に移り斯くて同五十分意義深き會見を了つた。

    社說 護國の英靈に感謝を捧ぐ 社說

    事變下五度、護國の忠魂一萬二千七百九十九柱の新祭神を合祀する榮譽輝く靖國神社臨時大祭の盛儀は、昨二十四日然嚴の氣彌增す、聖域九段に於て、いとも嚴肅に執り行はれた。葉櫻が闇に沈む二十三日夜、招魂式がしめやかに執り行はれ、殉國の英靈一萬餘柱は永へに護國の神と鎮まる。けふしも大祭第二日目二十五日、畏くも

    聖上陛下に於かせられては、御除喪あらせられて靖國神社に行幸、新祭神を始め護國の英靈に御親拜あらせられる。英靈の光榮、遺族の感泣、如何ばかりぞ。生きては盡忠の赤子となり死しては護國の英靈となる。誠に一億國民の感謝感激して尚足らざるところである。けふ

    聖上陛下御親拜の御時刻を期し、全國民一齊に遙か靖國神社に向ひ、一分間の默禱を捧げ、忠勇なる遺烈に應へることになつてゐる。吾々は最も敬虔にして最も嚴肅な態度で、無限の感謝を捧げて英靈の冥福を祈り、且つ以て盡忠の覺悟、難局突破の決意を新たにしたいのである。

    社說 精動再出發の基調 社說

    ID:033190960

    精動再出發の基調

    畑陸相は、過日軍師團經理部長會議席上に於て、事變處理に關し、「今後數年に亘るべきは推知に難からず」物があらうか無からうが、國民は石に嚙りつ いてもこれを處理して行かなければならぬことを強調された。支那事變は既に第四年度に入り、新政府の樹立を機轉として、事變處理國策は一大進展を示さんとしてゐるが、斯る重大時局に際し、國策に對する國民の全幅的協力心を呼起して、真に舉國一致の體制を強化するの要は愈々緊切となりつつある。此秋に政府が、有名無實化した從來の精神總動員機構を全面に改組し、基礎を國民生活に置き、新たな構想のもとに精動再出發を圖ることは緊要事 たるを失はぬ。今回決定された精動改組案は、既存の精動中央聯盟を廢し精動中央聯盟を中樞として、その組織を擴大強化し、且つ從來の企劃と實績の二元的機構を一元化し、郡市に連絡機關を設け、中央より地方町會に至るまで、一貫した命令系統が整へられ、體制としては大いに強化されたわけである。

    米內首相は、議會に於て屢々精動の機構改組のみならず、精動運動そのもの刷新強化すべきことを強調されたが、今度の改組が果して首相が議會で言明 した樣に、「國民の精神を彌が上にも昂揚させうる」かどうか、もとよりこれは今後の實績に徵しなければならぬが、この種の運動は機構の整備より運用如何が第一義でなければならぬ。今までの精動が無用の長物視され、笛は吹けども人は踊らぬ嘆を唧つて失敗に歸したのは、國民もその責めの一半を負はねばならぬが、運用に當つて指導精神が明確を缺き、只「べからず」の羅列主義で官廳側の一方的要求に終始し、半ば命令的、強制的に國民の實踐を求むるに急であつたためだと思ふ。斯くては一時的の成果は收め得るとしても、これを永續させ國民をして自發的に國策に協力せしめ、恒久的實踐運動へ展開させることは到底望まれないことである。 問題は機構でなく、機構を運用する「人」を得るか否かに存するのである。

    從來の精動運動は講演式に流れ勝ちであつた。實際戰時下にあつて、一國の國民を一つの方向に指導する事は容易な業ではないが、驚動の狙ふところは、精神を振作すると同時に、實踐が伴はねばならない。堅忍持久してこの難局を乘り切る勇猛心は、もとより必要であるが、今日事變處理上、是が非でも國民の實行に俟たねばならぬ國策は多い。しかもこれらの國策は國民にその實踐を求むるや切である。獨り精神運動に限らず、國民的運動を強力に實効的に展開せんがためには、先づその指導精神を明確に示し、そうして日常の國民心理に直接作用する實踐方法を□ること肝要である國民の胸底から湧き上る、真劍な實踐運動へ展開せしむる新しき構想が必要である。事柄には輕重があり緩急がある。指導によろしきを得ざれば所期の目的は達せられない。單に機構整備擴充のみを以て、精動運動の實踐を期しうるものとせば、畢竟過去の誤謬を再び繰り返すに終らざるを得ない。

    閑院宮春仁王殿下 南支方面を御視察 御豪膽に將兵痛く感激 頭條新聞

    【廣東二十五日發同盟】陸軍大學校兵學教官にあらせられる閑院宮春仁王殿下には南支方面御視察の為先月三十日廣東飛行場に御着、御休みの御暇もあらせられず安藤部隊本部に成らせられ情況を御聽取、三十一日は廣東附近の各部隊本部に成らせられ情況を御聽取、服部部隊患者を御慰問、四月一日は佛山、三水、二日黃埔、虎門、三日は南寧、四日は海南島、五日は海軍司令部とその間一日の御休養もなく御日程を完全に終えさせられ六日始めて御休養を採らせられ七日朝空路油頭を經て臺北に向はせられた、御來廣の日は非常な惡天候で暗雲低く垂れ罩め雨に雷さへ伴ひ地上は珠江を始め山も何も見えず、見えるものは只白雲だけと云ふ狀態であつたお召機は定刻に廣東近くまで飛來、操縦士より「あと五分で到着致します」と併し飛行場が見えぬ為高度二百米を保つて同處を密雲の中に册分旋回しつゝ誘導機の見つかるの待たれた漸く誘導機が發見されお召機は直にそれに續いたが密雲はまた誘導機を隠してしまつた旣に御到着の定刻を一時間以上も過ぎた併し殿下は「まだ着かぬか」「何處まで來たか」と御一言も申されず本を讀みつゞけて居られた若し茲で御一言云はれゝば操縦士は不時着したかもしれなかつた、併し宮殿下には何も仰せられなかつたので操縦士は漸く飛行場を見つけ水浸しとなつて居る飛行場に沫を上げて無事着陸することが出來たのであつた、宮殿下の御沈着、御豪膽、部下を思ひやられる御情は將兵をしていたく感激せしめられたのであつた

    心聲 漢詩

    庚辰元旦於路竹晤栢園君/臺南 杏庵、敬和開運老夫子/路竹 栢園、日光遇雨/楊靜淵、雅敍園午餐/楊靜淵、江之島/楊靜淵、熱海/楊靜淵、懷蜻蜓州知交先輩諸公並七詩社侶/莊玉坡、雜詠/黃氏金川

    圖像:畏し英靈に御親拜 頭條新聞

    【江南◯◯にて二十六日發同盟】自洋を攻略せる上住、石谷、道家等各部隊は九華山系に敵を壓迫左翼進撃部隊は同山系南西側廟前街距たる十二粁の地點を右翼進撃部隊は廟前街東方約六粁に進出左右密接なる連繋の下に○○に向け果敢なる進撃を續けてゐる又小松部隊は二十六日早朝馬坑橋方面より要衝○○に向つて猛攻を開始し敵はわが急襲に施す術もなく早くも各戰線とも浮足立つてゐる

    【江南○○前線にて二十六日發同盟】長江南岸進撃のわが神代、中西、村山、福井、森岡、旭諸部隊繁昌、中分徐攻略後繁昌を去る十二粁の八魚亭附近を目指して進撃二十五日夕刻荻港東南十五粁の鐵鳴耆を攻略更に敗敵を捕捉殲滅すべく二十六日朝來要衝○○に向け急退を續行中である

    社說 內外地人の強き結合 東亞新秩序建設の前提要件 社說

    先日本島視察中の小磯拓相が督府地方長官會議に臨席、數日間の島內視察に依つて得た臺灣統治に對する所見を滔々と述べて型破りの訓示を為されたことはたしかに本島官場空前の一盛事であつた。拓相の述べられた統治方策は僅か數日間の大名式視察に依つて直接見聞した事象に基くといふよりも、謂けゆる無聲に聽き無形に見る大政治家の獨特な眼光を通じて歸納された從來の持論に基くものであるとも思はれる。其遠大なる構想と明徹なる見識に至つては洵にただ敬服する外はない。

    小磯拓相の本島官民に教示されたところ、工業化の基礎條件、皇民化の前提要素、農礦產業の振興開發、南方進出の施設整備等々、頗る多岐にわたり、何れも核心にふれてゐるが、殊に人間は砂糖をなめなくとも辛抱出來るが米は死活の問題だとか、皇民化する所以のものは島民自身の自覺發奮を必要とするが、先づ以て內地人自らの國體意識を向上することも必要だとか、その言ふところは極めて平々凡々な言葉ではあるが、それに味ふべき意義を含ましめて、深い哲理を知らぬわれわれ凡人俗輩でも解り易く教へられたわけで ある。

    小磯拓相が地方長官に與へられた訓示の中、皇民化問題について、指導者に當る內地人が今後相當の修養を必要とすると同時に、被指導者たる本島人大眾に對しては、その經濟生活に基調を置いて皇民化を圖るべきだと強調された。まさにさうあるべき筈だ。後輩たる本島人は恰かも尚ほ未成年者の弟の如く、先輩たる內地人が兄の如き溫い情愛と正しい指導に依つて、その生活が向上され、立派な皇國臣民たらんことを真摯且つ熱烈に望んでゐる。故にたとひ一方に無修養な優越傳統を誇り、また他方に無思慮なまま子根性を起 すといふやうな狹少な度胸とケチ根性とを全然持たないにしても、若し古人の諺に兄にして兄たらずんば弟は弟たらずといふやうな人間の通弊たる感情對立を生ぜしむることがあつてはならないと信ずる、小磯拓相が指導者の教養と被指導者の自覺とが相待つて真なる皇民化の前提要件たることを道破し、古今賢哲の教へるところ正にその軌を一にするものである。

    今や皇國日本は八紘一宇の肇國大精神を以て東亞新秩序を建設し、東洋諸民族を領導すべき空前の聖業を遂行しつつある機運に際會し、皇國民たるもの新舊の差はあるにして決して內外の疎隔があつてはならない。卽ち小林總督の地方長官に訓示された如く、內外地一體の精神を以て難局に對處する堅き決心を持たねばならない。然しながら感情的動物たる人間は往々にして新舊同胞の中に自己の特別存在を誇つて兄弟の向上を抑へる優越感を持つものがゐるが、東洋諸民族を大同團結する前に、先づ此れらの狹量偏見を持つ內外地人が其舊き因襲的觀念を清算して、新しき建設的精神を修養し、以て內外地人の強固なる一體的結合を圖らねばならぬと確信して疑はない。

    心聲 漢詩

    敬和灌園先生熱海瑤韻 其一/蔡柏梁、敬和灌園先生熱海瑤韻 其二/蔡柏梁、敬和灌園先生熱海瑤韻 其三/蔡柏梁、敬和灌園先生熱海瑤韻 其四/蔡柏梁、敬和灌園先生熱海瑤韻 其五/蔡柏梁、敬和灌園先生熱海瑤韻 其六/蔡柏梁、同虛谷少奇文芳受灌園先生之招待/陳茂源、同虛谷少奇文芳受灌園先生之招待/陳虛谷、同虛谷少奇文芳受灌園先生之招待/甘文芳、次韻/灌園、次韻/灌園、次韻/灌園、次友芬見寄原韻/灌園

    江南に大殲滅戰展開 數萬の敵軍擊滅を待つ 頭條新聞

    【江南○○にて二十七日發同盟】蕪澎、池州附近上流殷家滙を結ぶ江南の山岳地帶に展開された今次進攻作戰は行動開始以來僅か六日戰局は茲に急展開を示し第三區司令長官顧祝同麾下の中樞兵團第五十、二十五軍の兵數萬の撃滅は目睫に迫つてゐる、卽ち二十七日早朝に至るや繁昌攻略部隊は八魚亭、水龍山を突破して西南方に迂回包圍陣を形成、南陵攻略部隊は數縦隊となつて南陵西陽街道を驀進、木鎭青坑の東側に進出して包圍陣の一翼を形成これに呼應し、白洋方面より進擊し廟前街を攻略せる諸部隊は九華山系北側地點で敵の退路を完全に遮斷した、又池州、大通方面より行動を開始せる各部隊は西陽の北側及び西方に進出し西陽正面の堅陣に真向から猛砲撃を浴せ包圍網は漸次縮小されつつあり江南大殲滅戰は今明日中に迫つてゐる

    心聲 漢詩

    春日感賦寄靜園/梅樵、謹和梅樵詞丈瑤韻/寄生、謹和梅樵詞丈瑤韻 二/寄生、舟發基隆港/玉廉、於風月報俱樂部聞新竹音樂家陳鏡如氏一行與南投音樂家吳賜斌氏一行奏樂感作/陳子敏、於風月報俱樂部聞新竹音樂家陳鏡如氏一行與南投音樂家吳賜斌氏一行奏樂感作/簡荷生

    諾威に行政長官任命 獨諾兩國は交戰狀態 廿七日獨總統令で布告 頭條新聞

    【べルリン二十七日發同盟】

    ヒトラー總統は二十七日總統令をもつてノルウエー政府の態度に依りドイツ、ノルウエー兩國間に戰爭狀態發生した旨布告したが右總統令內容左の如し

    ノルウェー舊政權はその宣言處置及び對獨戰闘行為に依り兩國間に戰爭狀態發生せしめた、依つてドイツ軍空領地域の安寧秩序保全の為め次の如く制定す

    第一條、行政長官をオスロに置きドイツ軍占領地域を管掌せしむ、行政長官はドイツの利益を保護し民政の範圍において最高權力を行使す

    第二條、行政長官はその命令を實行する為めノルウエー行政委員會及びノルウエー諸官廳を使用する

    第三條、旣存の法律は戰爭狀態に牴觸せざる限り其の効力を有する行政長官は法律の效力を有する命令を發すること得

    第四條、ノルウエー駐屯軍司令官は統帥權を有す

    第五條、行政長官は其の命令を實行する為めドイツの警察諸機關を使用することを得

    第六條、行政長官は總統に直屬し其の指示を受く

    第七條、行政長官にヨーゼフ・テルボーエンを任命す

    天長節祭の御儀 御慶祝は一切御取止め 頭條新聞

    【東京二十九日發同盟】天長の佳節廿九日は光輝ある紀元二千六百年にも拘らせられず宮中喪の御為め宮中に於かせられては午前十時三條掌典長以下奉仕し賢所皇靈殿、神殿において天長節祭の御儀が行はれた外御慶祝の事は一切あらせられず大奧においては午前十一時半頃孝宮內親王樣が參殿、義宮樣清宮樣にも御揃ひ遊ばされ

    天皇皇后兩陛下にて御團欒、天長の佳節を御內輪に御過し遊ばされた